父親はドイツへ。オードリー・タンの不登校が招いた「家庭戦争」の終息

提供:唐光華/オードリー・タン


父親との和解


ドイツ留学中の父親は、そこで得た見聞をエアメールで母親や子どもたちに知らせるようになった。ベルリンの壁が取り壊された時には現地に赴いて写真を撮り、拾った壁の破片とともに送ってくれたりもした。オードリーと弟も、次第に父親と対話をするようになっていった。ドイツでは、大人たちが子どもに接する態度が台湾とは全く異なっており、父親はそこで大きなインスパイヤを受けたという。「あの優しくて博識な夫が、少しずつ戻ってきたと感じた」と母親が感じるほどに、大きく変化していった。

「あの頃から、父の態度は変わりました。威圧感を伴いながら『あなたが感じていることに意味は無い』と言うようなことはなくなりました」とオードリーは当時を振り返る。

「誰かに自分の感じたことを肯定してもらうのは、とても大切なことです。人間の感情はとても複雑で、すべてを言葉にして話したり書いたりすることは難しいからです。だからこの頃の私には、どんな経験をしてどんなことを感じたのかを、うまく言葉にできなかったり表現できなかったとしても、ただ、『あなたがそう感じたのは、本当のことだ』と言ってくれる人が必要でした。感じたことを否定されないことでこそ、私の感受性は少しずつバランスを取り戻すことができました。

もしずっと否定されていたら、私は外の世界とコミュニケーションが取れなくなってしまっていたでしょう」

「だから、母親が私の感情を肯定しようとしてくれたことは、とても素晴らしいことでした」


(筆者・近藤弥生子の著書『オードリー・タン 母の手記「成長戦争」 自分、そして世界との和解』はKADOKAWAより発売中)

文=近藤弥生子

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