送達技術をめぐって──マクラクラン、マッデンのつばぜり合い
マクラクランとマッデンという2人の研究者のライバル意識は、現在の新型コロナワクチンに欠かせない送達テクノロジーをめぐる論争から発している。
2人の出会いは25年前、カナダのブリティッシュコロンビア州バンクーバーに本社を置くイネックス・ファーマシューティカルズ社という小さなバイオ企業でともに仕事をしていた時代にさかのぼる。生化学の博士号を持つマクラクランは1996年にイネックスに入社した。ミシガン大学の遺伝子研究室で博士課程を終えて最初に就職した職場だった。
イネックス社の共同設立者は主任研究員ピーター・カリス(75)で、ブリティッシュコロンビア大学で教鞭を執る長髪の物理学者だった。カリスはバイオテクノロジー研究をいくつか立ち上げ、研究者のエリート集団を育て、バンクーバーを脂質化学発展の土壌にした。
イネックス社は低分子化学療法剤の新薬候補を持っていたが、カリスは遺伝子治療にも関心があった。彼の目標は泡状の脂質に封入したDNAやRNAなど高分子の遺伝物質を送達し、薬剤として細胞内に安全に運ぶことだった。生化学者が何十年も前から夢見てきた技術だが、実現は不可能だった。
洗剤を液体で混ぜる新たな方法を使って、イネックス社のカリスのチームはDNAの少片をリポソームと呼ばれるごく小さな泡で包むことに成功した。あいにくこのシステムでは遺伝子治療に必要とされる大きな分子を医療上有用な方法で運ぶことができなかった。エタノールを使う方法も試したが、どれも成功しなかった。
「イネックス社で、ありとあらゆるLNP〔脂質ナノ粒子〕を組み立ててみたが、〔遺伝物質に〕応用できなかった」とカリスは言う。
功を奏したのは、シンプルな方法
イネックス社は研究所ではなく民間企業だったから、将来性のある化学療法薬に重点が移され、遺伝子治療班はほぼ解散状態になった。マクラクランは残った班を率いたが、2000年にとうとう匙を投げた。それでもカリスは、マクラクランにすっかり手を引かせはしなかった。新しい会社を設立して、送達システムの開発を続けたらどうかと説得した。
そこでプロティバ・バイオセラピューティクス社が誕生し(マクラクランは主任研究員に就任した)、イネックス社はプロティバ社の株を少量保有した。マクラクランは、生化学の博士号を持ち、アメリカのバイオ企業で長年重役を務めたマーク・マレー(73)を引き抜き、CEOの座に据えた。
ほどなくプロティバ社の化学者、ローン・パーマーとロイド・ジェフスは新たな混合法につながる大発見をした。Tコネクター装置の片側にアルコールに溶かした脂質を置き、反対側には塩水に溶かした遺伝子物質を置き、2種類の溶液を噴出により合流させた。すると、期待どおりの現象が発生した。衝突の結果、脂質は高密度のナノ粒子を形成して遺伝子物質を包みこんだ。方法はいたってシンプルだったが、それがうまくいったのだ。