別方式の遺伝子治療「RNAi」も
「それまで使っていた様々な方法はどれもむらがあり、効果がなかった」とマクラクランは言う。「製剤にはまるっきり不向きだった」
マクラクランの率いるチームは4種類の特定の脂質からなる新しい脂質ナノ粒子の開発にさっそく取りかかった。イネックス社が実験に使っていた脂質と同じものだが、マクラクランのLNPは核内の密度が高く、イネックス社の開発した袋状のリポソームの泡とは格段の違いがあった。マクラクランのチームは4種類の脂質が最も効果的に働く比率を割り出した。全部きちんと特許を取得した。
ビオンテック社のコロナウイルスワクチン製造工場(ドイツ・Getty Images)
モデルナ社のコロナワクチンとファイザー社のコロナワクチンはメッセンジャーRNA分子に基づく遺伝子治療の方式を用いている。ところがプロティバ社の研究者は当初、RNA干渉、あるいはRNAiを用いた別の方式の遺伝子治療の方に関心を持っていた。
mRNAが治療用タンパク質を作るように体内で指示を出すのに対し、RNAiには病気を起こす前に悪い遺伝子を抑える役割がある。マクラクランの送達システムを得たプロティバ社は米マサチューセッツ州ケンブリッジに拠点を置くバイオ企業アルナイラム社と提携し、RNAi治療の実用化に取り組んだ。
薬物送達システムの開発競争
一方、マクラクランの古巣、イネックス社は化学療法薬の緊急承認をFDAに却下されたあと経営が傾いていた。わずか数年前にプロティバを別会社化したばかりだったのに、人員を大幅に整理して薬物送達システムの開発に戻り、プロティバと同様、アルナイラム社と手を組むようになった。2005年にカリスが退職すると、イネックス社で送達システム開発を進めるのはマクラクランの最大のライバル、トーマス・マッデンだけになった。
2006年、プロティバ社とアルナイラム社は「ネイチャー」誌に画期的な論文を発表し、遺伝子サイレンシングが初めて実験用のサルで効果を上げたことを論証した。この研究には、マクラクランのチームが開発した送達システムが使用されていた。
つぎにアルナイラム社はオンパットロの開発に取り組んだ。これは特定の遺伝性疾患を抱える成人の神経損傷治療に用いるRNAi治療薬で、同種の薬剤ではFDAの承認を受けた第1号となった。申請書によれば、アルナイラム社はマクラクランの送達システムをオンパットロに使用したが、ひとつだけ例外があった。4種の脂質のうち1種類だけ、トーマス・マッデンと共同開発した修正版の脂質を使ったのだ。
2008年10月、マクラクランがプロティバ社に引き抜いたCEOマーク・マレーは、買収したばかりの小さなペーパーカンパニー、テクミラ・ファーマシューティカルズ社の一室にいた。プロティバ社と同じくテクミラ社もイネックス社が設立した会社で、イネックス社は1年前についに経営破綻し、残った資産をすべて廃業前にテクミラ社に移していた。マレーは買収に伴って転籍した元イネックス社の15名の研究者を呼び集めた。そこには、トーマス・マッデンも含まれていた。
「あいにく、きみたちをこれ以上雇っておくことはできない」とマレーは研究者たちに告げた。