ブランド創始者ココ・シャネルを讃えるこうしたイベントは、シャネルブランドが関与しない「ファッション界の外」で行われています。映画界、文芸批評界、出版界などの、堅気の人文学的世界で創始者が神格化されているのです。ブランドが関与しない文化芸術的なアウトプットが増えれば増えるほど、ブランドは格上げされていく。シャネルにとっては棚牡丹的なPR効果、と言っては失礼でしょうか。
ラグジュアリーとアートの結託
私もココ・シャネルの伝記本を2冊、翻訳したり監訳したりした関係上、いくつかの人文学系イベントに関わりましたが、実感していることは、時を経れば経るほど、この人はアート化されていくのだなということです。
実話に基づくドキュメンタリーを見ると、生身のシャネル、とりわけ晩年の頑固なシャネルと付き合うのは耐えられなかっただろうなと感じます。しかし距離が遠くなればなるほど、嫌なところもユニークで芸術的な個性に昇華されます。時が経てば経つほど偉人度が増すわけです。
彼女自身は、ファッションは時の流れとともに消え去っていかねばならないと語っていましたが、そんな本人がアートになることで時の流れの試練に耐えうる永遠性を獲得してしまったのです。もしもポール・モランがシャネル没5年後の1976年に彼女の言葉を集めたシャネル伝を出していなかったら、シャネルははたしてこれほど神格化されていたでしょうか? ひいては今日のような繁栄がもたらされたでしょうか?
シャネルのビジネスを「復活」に導いたカール・ラガーフェルドはそのあたりをよく理解しており、1996年に自身のイラスト入りでモランによるシャネル伝の改訂新版を出しました。
シャネルのNY旗艦店オープンにて。右がカール・ラガーフェルド(1996年撮影、Getty Images)
時とともに消えゆく運命をもつファッションを扱うブランドが、時間に対する耐性、永遠性、文化性、神話性を獲得してラグジュアリーのオーラをまとうためには、アートの力と結託することが大きな力になると見えます。
多くのラグジュアリーブランドは突き抜けたステイタスを保つためのアートの必要性をとっくに熟知しており、シャネルのようにアート化されるほどの創始者がいなかったとしても、さまざまなアプローチでアートと結託しています。2000年代以降のルイ・ヴィトン、ケリング・グループ、エルメスは顕著な例です。