あのウッドストック・フェスティバルと同じ1969年の夏、ニューヨークで30万人もの観客を集めたもうひとつの大規模フェスがあった。その名は「ハーレム・カルチュラル・フェスティバル」。この一大イベントを記録したフィルムを、ヒップホップ・バンド、ザ・ルーツのクエストラヴが再構成したドキュメンタリー映画『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』が8月27日に公開される。
アフリカ系が多く住むハーレム地区で開催されただけあって、登場するのは若き日のスティーヴィー・ワンダーやB.B.キング、ゴスペルの女王マヘリア・ジャクソン、当時人気絶頂のスライ&ザ・ファミリー・ストーンといったブラック・ミュージックのスターたち。しかしそうしたメンツに混じって、モンゴ・サンタマリアやレイ・バレットといったラテン系ミュージシャンもステージに上がっている。
この事実についてインタビューで熱く語っているのが、『メリー・ポピンズ リターンズ』などに出演するプエルトリコ系の俳優リン=マニュエル・ミランダである。彼は「自分たちラテン系も大きな意味では仲間だ」と発言する。これは単なる比喩ではない。ハーレムのすぐ隣に位置するワシントン・ハイツ地区は、ドミニカやプエルトリコといったヒスパニック・カリビアン(スペイン語を話すカリブ諸国)からの移民およびその二世が大多数を占めるエリアなのだ。
チェーン店の代わりに家族経営の商店が並び、通りからはスペイン語しか聞こえてこないこの街で生まれ育ったミランダは、地元を舞台にしたミュージカル『イン・ザ・ハイツ』の製作に大学在籍時から着手。同作はブロードウェイで上演され、タイムズスクエアから地下鉄でわずか15分の場所に異世界が存在することを、ヨーロッパ系白人が大多数を占める観客たちに知らしめたのだった。その『イン・ザ・ハイツ』がミュージカル映画として7月30日に劇場公開される。
「ウエスト・サイド」のその後を描いた物語
同作の主人公は、小さな食料雑貨店を営む青年ウスナビ。彼はジェントリフィケーション(都市の富裕化)によってコミュニティが崩壊しつつあるハイツから抜け出し、故国のドミニカに帰り、海辺でのんびり暮らす生活を夢見ている。そんなウスナビが想いを寄せているネイルサロンの店員ヴァネッサもまた街を出ようとしている。しかし彼女の場合はウスナビとはベクトルが逆で、マンハッタンのダウンタウンでファッションデザイナーになる夢を叶えるためだ。
一方、もうひとりのメインキャラクターであるニーナは、日々の暮らしが精一杯のハイツから名門スタンフォード大学への進学を果たしたエリートだ。つまり彼女はすでに外の世界に飛び出しているのだ。しかし父親の収入では学費が足りず、学業継続が困難になっている。
故国に帰りたがっている男と、アメリカで生きぬこうとする女という図式はおそらく、ニューヨークに住むプエルトリコ系移民が、初めてメジャーなエンタメ作で描かれたミュージカル『ウエスト・サイド物語』(1957年初演、1961年映画化、2021年再映画化)を踏襲している。