注目の『イン・ザ・ハイツ』が踏襲するあの物語と、NYのラテンカルチャー

毎年マンハッタンで行われるNational Puerto Rican Dayパレードの様子(Shutterstock)


これほどの人気を誇りながら、当時サルサに注目したロック・アーティストはデヴィッド・バーンやジョー・ジャクソンぐらいだった。ロックに影響を与えたヒスパニック・カリビアン音楽は、全く違った形でシーンに登場することになる。
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その音楽が生まれた場所は、前述のヤンキースタジアムがあるブロンクス区。マンハッタンの北に位置するこの区は、当初ユダヤ系が多く住んでいたが、彼らはより良い生活環境を求めて徐々に転出し、代わりにジャマイカやバルバドス、トリニダードといった英語圏のカリブ諸国からの移民と、ヒスパニック・カリビアンが住むようになった。

ヒップホップのルーツ


ファニアオールスターズのヤンキースタジアム公演が行われた1973年8月、サウスブロンクスの公団住宅の娯楽室で密かに革命が起きる。ジャマイカからの移民クール・ハークが、ジャマイカ由来のサウンドシステムでファンクをかけるパーティを開いたのだ。

これ以降ハークのパーティは定期的に開催されるようになったが、彼はダンサーたちが特定の曲のドラムだけになるパート(「ブレイク」と呼ばれる)に反応することに着目。2台のターンテーブルを駆使して、ブレイクの部分だけを延々流すようになった。これがブレイクビーツの誕生となり、マイクを握るMCを交えたパーティスタイルは「ヒップホップ」として確立していく。
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一方、ダンサーたちはブレイクダンサーと呼ばれるようになったが、その最大勢力はアフリカ系ではなくプエルトリコ系だった。つまりヒップホップとは、ヒスパニックカリビアンのビート感覚で濾過されたファンクだったのである。

このため黎明期に活躍したプリンス・ウィッパー・ウィップをはじめ、ファット・ジョーやビッグ・パニッシャーなど、ヒスパニックカリビアンのラッパーは数多い。現在最も人気があるフィメール・ラッパーのカーディ・Bもドミニカ系である。しかも彼女はワシントン・ハイツ育ちだ。

だから『イン・ザ・ハイツ』の挿入曲には、サルサやメレンゲはもちろん、ヒップホップが大々的に取り入れられている。ちなみに多くの曲で聴けるパーカッシヴなビートは、レゲエを取り入れたプエルトリコ産のダンス・ミュージック「レゲトン」を応用したもの。このジャンルの代表的なアーティスト、バッドバニーは、2020年に世界中のSpotifyで最も聴かれたアーティストに輝いている。

ヒスパニック・カリビアンの音楽文化はいまや世界標準になっているのだ。『イン・ザ・ハイツ』を観たなら、こうした現実の一端をきっと掴めるはずだ。


連載:知っておきたいアメリカンポップカルチャー
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文=長谷川町蔵

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