昔からダイキンは人を大事にする会社だった。前社長は「表彰はしても懲戒は最小限」「部下に再生の機会を与えないのはリーダーではない」など、人を信じてチャンスを与えるマネジメントを実践。井上とは性格が正反対だったが、「人を大事にするところは似ていたから、私を社長に指名したのかも」と振り返る。
性善説でとらえるようになったのは、小学校高学年で迎えた終戦の影響が大きい。小学校は軍国主義で厳しく管理されたが、戦後、新制中学で同志社中学に入り衝撃を受けた。
「新島襄の建学の精神で、自主性を重んじて独自性を大切にする校風。悪いことしても誰も怒らへん。これは逆に自分がしっかりせなあかん」と自らを戒める機会が多かった。
人は信じて任されたほうが能力を発揮する。それが自分だけのことではないと気づいたのは、ダイキンに入社して淀川製作所総務課に配属されたときだ。工場は四十数万m2と敷地が広大。操業開始は朝8時だが、社員は門でタイムカードに打刻すると、あとはのんびり歩いて持ち場に向かう。ラインが稼働するのはいつも8時半近くだった。
「タイムカードをなしにしようと提案しました。上司が『3カ月だけやってみい』と言ってくれたのでやってみたら、いつもギリギリに来る人が早く出勤して、8時5分過ぎには操業できるようになった」
社員の自主性を信じて待つ姿勢は、いまも変わらない。人事においても「早咲きもいれば、遅咲きもいる。本人の希望も聞きながら、長期的に成長してくれればいい」と語る。
井上の経営哲学は、「不易流行」。時代が変化しても変えてはならない独自の経営理念と、世の中の変化を先取りして次々と変革を仕かけ、新しい時代の経営を打ち出していく、その両面が必要というものだ。
今年で27年の長期政権。経営トップの座は、はたして不易か流行か。
「いい加減、辞めなあかん。新しい人には勇気をもって違いを出してもらいたいけど、継承してほしいものもある。次のトップは生え抜きから選びたいけど......。これ以上は言うたら怒られるからやめときます(笑)」
井上礼之◎1935年、京都府生まれ。57年、同志社大学経済学部を卒業後、大阪金属工業(現 ダイキン工業)に入社。94年6月、代表取締役社長に就任。2002年6月より会長職に就き、現在は取締役会長兼グローバルグループ代表執行役員。