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現代アーティスト・鬼頭健吾氏(撮影=神谷拓範)

独立した円だったフラフープが繋がり、増殖するように空間をカラフルに埋めていく──。

フラフープを題材にしたインスタレーションや絵画など、多様な作品を国内外で発表している現代アーティスト鬼頭健吾。今年の3月に京都市内にオープンした現代アート専門の新ギャラリー「MtK Contemporary Art」のディレクションや「ARTISTS’ FAIR KYOTO 2021」のアドバイザリーボードを担当。オープニング展として5月9日まで開催していた鬼頭、大庭大介、名和晃平が参加するグループ展「太陽」も好評を得た。

第一線で活躍する現代アーティストでありながら、創作の合間に京都芸術大学大学院教授として若手アーティストの育成にも力を入れる。

「白馬の王子様は現れない、保険もない、サバイバルなのがアーティストの世界」と語る彼に、現代アートに注目が集まるこの時代、アーティストに立ちはだかる成長の壁と乗り越え方を聞いた。

──鬼頭さんのアーティストとしての出発点はどこにありますか?

僕は、名古屋芸術大学の学生時代、「アートスペースdot」というアーティスト・ラン・スペースをつくり、運営していました。ここは、いろいろな人が出入りするアーティストのたまり場。倉庫みたいな建物を借りてペンキを塗って、作品の宣伝も自分たちでしていたんです。

こうした共同スペースをつくった背景には、僕が日本で感じていた「違和感」がありました。それは、作家が自分についているキュレーターやお客さんを、決して他の作家に紹介しようとしないこと。たとえ、僕の作品が合わない人でも、他の作家の作品を買う可能性はあるのに……ずっとそう感じていました。

だから、キュレーターやお客さんとのネットワークを、アーティスト同志でシェアすることによって、アーティストが世に出る可能性を広げようとしたんです。

アーティストにとって、作品発表の場である展覧会の企画についても、どのアーティストをどう組み合わせようかという視点が強い。僕は、作家であっても展覧会のテーマ設定をキュレーターに任せず、自分でやりたい方なんです。だから、僕が大学院を出てすぐやったのは、仲間との自主企画展「THE ECHO」でした。

世に出るためには、アーティスト個人の力だけが重要だと思われがちですが、実は作家同士のフレンドシップこそがアーティストを育て、そこから新たなアートシーンが生まれていくことがある。それは歴史が証明していることでもあるんです。たとえば印象派も、アーティスト同士が集まってできたアートシーンのひとつでした。

──アーティストのシードステージにおいて、卒業後の美術大生がぶつかる最初の壁は何でしょうか?

彼らが卒業してまず直面するのは、アトリエとバイトの問題ではないでしょうか。学生時代は大学で大きな作品をつくることもできますが、卒業後はまず、自分で制作の場所を探す必要があります。

なので、卒業するとアトリエを借りる人が多いのですが、その家賃のためにバイトをしなければならなくなって、結局制作できる時間は減ってしまう。

これはおかしいなと思って、僕は当時、アトリエを借りないと決めました。そして、大学院を卒業後、名古屋の実家に帰り、子ども部屋だった6畳一間で制作を始めたんです。

文=鶴岡優子 写真=神谷拓範(人物)、Shinya Kigure(作品) 編集=松崎美和子

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