イタリアのラグジュアリー企業「ブルネロ・クチネリ」のCEO、クチネリ自身による『人間主義的経営』(2021年3月)は、ビジネス書というよりもむしろ、人文学の書としての読後感がありました。
『人間主義的経営』(クロスメディア・パブリッシング)
戦略、組織、ファイナンスといった経営学の本にありがちな用語が出てこない代わりに、クチネリが幼年時代を過ごした農村の環境や家族のことや夢、青年時代の発見などが、哲学からの引用をさしはさまれながら淡々と語られていきます。
経営のノウハウを手早く学びたい読者にはじれったいであろう自伝的なストーリーをたどるなかで、私たちは気づきます。クチネリが成功させ、世界から称賛を浴びている「人間主義的経営」は、この人固有の育ち、とりまく環境、経験、思想から生まれ、結果として結実している唯一無二の成果であることに。
他人がその成果の表層だけを目指し、同じことをやろうとしても、おそらくうまくいかないでしょう。自分自身のオリジンと感情に向き合いながら、信念や哲学の表現を目的として試行錯誤を重ね、結果として彼独自のゴールを創造するにいたったのですから。
「人文学的な」ビジネス
朽ち果てた姿になっていたイタリア・ソロメオ村を、工場や本社を作ることによって修復しただけでなく、村の人々には文化的で豊かな暮らしが必要だと信じ、劇場、図書館、公園まで作った。この村は、「保護者、管理人」としてのクチネリ哲学の集大成であり、彼が抱き続けてきた夢や思いの表現としてのランドスケープであるという意味では、一種のアートととらえることもできます。
そのプロセスに一人の人生がまるごと関わってくるという意味で、「人文学的な」ビジネスです。
効率・実用・グローバルを旗印に進んできたここ30年くらいのビジネス界がいよいよ立ちいかなくなり、気がつけば富が一極に集中して格差は広がる一方、環境問題は切迫し、弱い立場の人が痛めつけられ、自殺者は増えて社会全体の幸福感が高いとはいえない──。
なぜこうなったのか? この状況を打開し、人間社会の幸福を取り戻すために、本来のラグジュアリーの意味とあり方が問い直され、その延長で人文学のアプローチに再び脚光が当たろうとしているように見えます。この30年は、グローバリズムの勢いに比例して人文学が「衰退」していった時代でもあるため、感慨深いものがあります。