滋賀県彦根市の西山美香さん(40)の実家で、父・輝男さん(78)と母・令子さん(69)に初めて会ったときが、そうだった。西山さんが両親に送り続けた手紙を読んで、すでに無実を確信してはいたが、西山家を訪ね、両親との初対面は、今も私の脳裏に焼きついている。
(前回の記事:「再審をやめたい」獄中からの手紙で弱音を吐いた「精神状態」)
輝男さんの顔に深く刻まれたしわと苦悩に満ちた目。35年近くの取材体験でも遭遇したことのない表情だった。「私が中学しか出ておらず、何もわからんもんやから、警察にいいようにされてしまって」。歯がみをせんばかりにしぼり出された言葉が耳に残る。
その隣で、車いすに座ってうつむいたまま、時折涙をぬぐう母令子さんは事件後、脳梗塞を患い、不自由な体になっていた。「警察は市民の味方と思っていました」。私の親世代と同じ、昭和の時代を実直に、汗水たらして必死に生きてきたであろう二人の、偽りのない、ありのままの人柄に、胸が締め付けられるような思いになった。
両親の行動が、刑務官の心を動かしていた
和歌山刑務所に毎月2回、時にはそれ以上、往復7時間以上の道のりを、娘を励ましに通い続けた。そんな苦労話が、法廷内の風向きを左右する可能性は、これっぽっちもない。そう思っていた。だが、何の関係もない、とも言い切れない。そう気づいたのは、再審無罪になって間もない頃だった。
10年以上もわが子のために両親が刑務所に通っていれば、その姿に心打たれる刑務官も当然いる。途中からは、車椅子の妻を夫が押す大変な道中。誰かの心が動けば、それが、何らかの形になって大きく物ごとの流れを左右することは、ままあることである。
2017年2月、両親との面会を境に、西山さんが突然荒れ出し、ついには自殺を図ったことに刑務官たちは戸惑っていた、とみられる。入所当初は冤罪の苦しみを刑務官にぶつけ、懲罰房行きを繰り返した西山さんも出所まで1年を切り、落ち着いて服役していた当時の状況を思えば当然だろう。
両親との面会後、しばらくすると工場の作業をしなくなり、シャンプーをドアに投げ付け、壁に頭をぶつけ、自傷行為がついにはシーツを鉄格子に掛けて首をつる自殺未遂にまで発展した。刑務官にもつかみかかり、わずか数日の間に手の付けられない状態になったのだから。