IDEO Tokyo エグゼクティブ・ディレクターの野々村健一が、いくつかの視点を共有する(後編はこちら)。
「あるべき姿はなんだ?」
私が新卒で入社したトヨタ自動車で、繰り返し叩き込まれてきたフレーズだ。あるべき姿と現状のギャップを洗い出し、そこを徹底的に埋めていく。組織の実行力を高めるうえで、極めて効果的なアプローチだ。会社規模でこれを実践してきたトヨタの圧倒的な競争力の源泉の一つだと思う。
事業会社からデザインコンサルティングの世界に飛び込んだ時、上記のアプローチと多くの共通点を感じた。デザインの本質的な役割のひとつは、モノゴトの「あるべき姿」(あるいは「ありたい姿」)を創出することであり、そこへたどり着くための旅路を、人々の共感を得ながら紡いでいくことだと考える。デザインが触れる領域が広がるに連れ、対象は企業やそのビジョンにも拡大していっている。
私達は今、世界規模で自身の「あるべき姿」を強烈に問われている。国として、企業として、個人としてのあるべき姿はなんだろう? 欧米では2020年を、世界中が立ち止まった歴史的に稀有な瞬間、“The Great Pause(大いなる中断)”と呼ぶ人々もいる。
一方、コロナ禍は、今まで水面下で聞こえていた変化の胎動を急加速させたとも言える。パンデミックをきっかけに波及した「働く」ことや「暮らす」といった根本的な人々の基本行動のあり方に関する議論。リーダーシップのあり方。さらには多様性や平等性。どれも、「あるべき姿」のアップデートの必要性を突きつけている。
“美意識”がつくる未来
日本デザインセンターの代表であり、IDEOが参画するVC・D4Vの投資先に共に出資されたこともある原研哉氏は、「美意識」という言葉をよく用いる。原氏の言うところの美意識(単に見た目の美しさやアートを捉えるセンスのことではない)は、前述の「あるべき姿」を考える上でとても重要だと感じる。私が深く共感した同氏の著書の一節を紹介したい。
「ありふれた日常空間の始末をきちんとすることや、それをひとつの常識として社会全体で暗黙裏に共有すること。美意識とはそのような文化のありようではないか。(中略)ものの作り手にも、生み出されたものを喜ぶ受け手にも共有される感受性があってこそ、ものはその文化の中で育まれ成長する。まさに美意識こそ、ものづくりを継続していくための不断の資源である」(岩波新書『日本のデザイン─美意識がつくる未来』より)
英語で美意識は「aesthetics(エステティクス)」だが、語源はギリシャ語で「感性」を意味するアイステティコス、さらに遡るとアイスタノマイ「知覚」という言葉にたどり着く。つまり、人間が「どう感じるか」というところに起因しているのである。