扶持米支給の基準
それでは、兵糧は兵一人あたりどの程度の分量が支給されたのだろうか。先に掲げた天正12年(1584)の秀吉書状の数値を計算してみよう。
総人数11200人の10日分の兵糧米が560石だから、一日分の兵糧米は56石、一人あたりでは以下の計算になる(一石は米にして約150kg)。
米56石÷11200人=0.005石
つまり、一人あたり一日5合(約750g)が兵糧米の支給量である。
天正14年(1586)正月二日付け堀尾吉晴宛て秀吉朱印状(『秀吉』一八二九)によると、「片桐貞隆組 人数224人」の場合は、「米40石3斗2升 近江升(枡)30日分」となっており、計算すると、一人一日6合(約900g)になる。ただし、京枡よりも小さい「近江升」によるとわざわざ表記している。近江枡は京枡より二割方少ないので、やはり一日5合ほどである。
ちなみに、同年4月24日付け加藤清正宛ての書状「御扶持方之事」(『秀吉』一八七九)では、180人、15日分の米が13石5斗とされている。これも一人一日5合の割合である。これらを勘案すると、秀吉が支給する兵糧米は通常の枡(京枡)で一日5合だとしてよいだろう。
米一石は現在のお金でいくら?
それでは、兵糧米は現在の貨幣価値にしてどのくらいと見ればいいだろうか。
おおむね当時の米一石を8万円として計算してみよう。これは米5kgに換算すると2670円ほどである。現在の銘柄米5kgの値段はだいたいそれくらいで、換算値としては妥当だと思われる。
すると、180人の兵糧15日分で108万円となる。兵一人あたり一日分の兵糧米は400円、10日で4000円となる。軍勢を動かす場合、たとえば1000人の軍勢を一日動かすと40万円、10日になると400万円となる。
関ヶ原合戦の時のように、10万人規模の軍勢を動員すると、兵糧米だけで一日に4000万円、10日で4億円が飛ぶ計算になる。豊臣家や徳川家の資産がどの程度であったかは後述するが、これを誰が負担するかは大きな問題だったろう。大軍を動員しての合戦は、とてつもなく大きなお金が必要なのである。
米の輸送費と城米
米はかさばるので、輸送するにも経費がかかる。
天正12年(1584)5月15日付け、長浜町中・八幡庄中宛ての秀吉書状では、兵糧米200石輸送についての記述がある(『秀吉』一〇八一)。
長浜町の者が140石、八幡庄の者が60石を調達して関ヶ原まで届けよ、という指示で、「一石に付き駄賃4升5合宛遣わす」としている。米一石につき「駄賃」が4升5合だから、兵糧米の輸送費は輸送する米の4.5%となる。軍勢が移動する時は陣夫が運ぶので費用はかからないが、陣夫にも扶持米を支給する必要がある。