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世界初の先物取引の舞台となった大阪堂島の米会所。浪速名所図絵「堂島米市の図」
(歌川広重画)/大阪府立中之島図書館所蔵(フォーブスジャパン8月号より)



情理を尽くした名判決「大岡裁き」で有名な、江戸時代の名奉行・大岡越前守忠相。
実は彼は、法律家であるだけでなく、非常に優れた経済のプロフェッショナルでもあった。


時は、暴れん坊将軍で有名な徳川吉宗の治世。江戸町奉行だった大岡越前守は吉宗公に、当時、大阪の淀屋橋に自然発生していた米の流通市場を、幕府公認で組織・整備するように進言。こうして誕生したのが、米の現物取引だけでなく、先物取引も備えた堂島の米会所だ。堂島米会所は、世界初の先物取引所として歴史に名を残している。
 
その経緯からすると、世界で初めて先物市場を整備したのは、大岡越前守ということになるだろうか。それにしても不思議なのは、大岡越前守は今でいう裁判官。法律の専門家ではあるけれども、なぜ先物市場などというものに関わる業績まで残すことができたのか、ということだ。

「確かに不思議といえば不思議なのですが、よく調べてみると、決して不思議ではないのです。徳川吉宗の治世は、ちょうど貨幣経済が発展してきた時期にあたり、お金を巡るトラブルが多発しました。そのトラブルを裁いていたのが大岡越前守。お金を巡っての人と人の争いを間近に見てきたからこそ、彼独特の経済センスが身に付いていたのでしょう」(藤野英人氏)
 
当時、旗本の給料はお米で払われていたが、日常生活の決済は貨幣が用いられていた。旗本としては、少しでも多くの貨幣が欲しい。そこで、手持ちのお米を売って現金に換えたものの、お米の売却が増えれば増えるほど、米価は値下がりするので、受け取れる貨幣がどんどん目減りした。
 
結果、旗本の生活は苦しくなり、高利貸しに頼るようになった。しかしながら、当然、借金がかさめば返済に窮するようになる。そこで幕府は、「金利が高いからいけない」などと言って、金利規制を始めた。すると、今度は高利貸しが、「リスクが高い連中にお金を貸しているのに、金利を下げられたとあっては商売にならない」となり、お金を貸さなくなってしまった。今でいう貸し渋りだ。こうして自己破産者が急増し、お金を巡るトラブルが続出した。
 
大岡越前守は、こうしたトラブルをつぶさに見つめ続けてきたのだろう。
この大岡裁きは、前出の堂島米会所に絡んだトラブルでも、いかんなく発揮された。
 
そもそも先物取引とは、手元に現物がないものを売買するマーケットだ。将来、取れると思われるお米の予約権を売買するものであり、かつその当時のお米の先物取引は、かなり投機的な取引だったという。
 
これも驚くべきことだが、堂島米会所の先物取引には、すでに証拠金取引の制度が取り入れられていた。「敷銀」と呼ばれる証拠金を差し入れて取引するわけだが、その証拠金率は、総代金に対してたったの1%。つまりレバレッジは100倍という、非常に投機性の高い取引だったのだ。
 
しかも、場は毎日立っており、デイリーで取引ができたため、短期のサヤ取りをする連中も増えてきた。レバレッジの高さもあいまって、1日で大金持ちになる人が出たと思えば、1日で全財産を失う人も出てくるようになった。
 
このような投機性の高さに魅せられる人は、いつの世にも必ずいる。堂島米会所における米の先物取引は、米商人だけでなく、大名や旗本、豪農なども参加していたと言われている。

「これが面白いのですが、毎日取引できるという点に対して、江戸幕府の官僚たちが怒り始めたのです。今風の言い方をすれば、大名や旗本がデイトレーディングにうつつを抜かしてどうするんだということなのでしょう。本業は疎かになるし、短期的にお金儲けをすること自体よろしくないと、官僚たちが言ったそうです。あまり現代と変わらないのですね」(藤野氏)
 
今も昔も、官僚はマーケットに対して、決してフレンドリーではない。ところが、大岡越前守は、 「日計り商い結構ではないか。大いにやるべし。欲深い人が大勢参加して、取引をすればするほど、市場に厚みが出てくる。そうなれば、かえって価格変動は小さくなる」と言い、こうした官僚たちの反対意見を一蹴したそうだ。
 
大岡越前守は、マーケットを熟知した法律家だった。ちなみにこれは、世界最大の商品先物市場となっている米シカゴ商品取引所(CBOT)が設立される100年も前の話である。

鈴木雅光 = 文

 

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