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アジア系移民にルーツ。小さなアイデアから映画化へ
シャー監督が映画の製作を始めたのは5年前。彼女の父親はアジア系移民であることから、学校で人種差別を経験したことを聞いていた。ほとんどが名前をからかういじめだったが、時に暴力を受けることもあった。だが、学校には多くの黒人の生徒もおり、差別を受けるのは父親だけではなかったという。
最初はちょっとしたアイデアだったが、「誰もこのRARの物語を語ってこなかったことに驚き、このストーリーを紡ぐ旅に出たのです」と振り返る。特に「1976年に小さなアイデアから始まった運動が、2年後には大規模な運動になり、トラファルガー広場からヴィクトリア・パークまで10万人が行進したことに驚いた」と明かす。
シャー監督は時が経つにつれ、映画化への思いを強めていった。
「映画のアイデアがますます現代の出来事にリンクするようになってきました。観客がこの作品を見て、私たちの力で物事を変えることができるんだと考えてもらえればと思い、ドキュメンタリー映画として公開しようと思いました」
作品の最後は、時を経た現在の、RAR創設者レッド・ソーンダズの印象的な言葉で締めくくられている。「人は無力だと考えがちで、お偉いさんの言いなりになる。だが、RARは一般市民でも世界を変えられると証明した」
この作品ではまた、冒頭に映されるザ・クラッシュのライブのように、未公開のアーカイブ映像が多く収録されているのも見所だという。
「白い暴動」ポスター