パンク・ロックの力で人種差別に対抗。40年前、若者が巻き起こした「白い暴動」

1970年代後半、不況にあえぐイギリスでは排外主義が台頭した。ドキュメンタリー映画「白い暴動」 から。


「よそ者は出ていくべきだ!」「我々の国を侵略者から守ろう!」「黒、茶色、黄色のカーキの顔の色をした侵略者どもから!」極右政党・NF(国民戦線)が率いるデモ隊が、こんなシュプレヒコールを上げながら進んでいく。映画では、まずそんなシーンから始まるが、この事実に耳を疑ってしまった。

経済破綻状態にあった1970年代のイギリスにおいて、暴力や差別の対象となったのは、黒人やアジア人。政党でさえ「白人至上主義」を掲げて、不満のはけ口として有色人種を攻撃の対象としていたという。

音楽業界でも差別発言。クラプトンもボウイも


さらに、この2人の音楽に親しんできた筆者にとっては、ショッキングな事実を知ることになる。デヴィッド・ボウイが「ファシストを国のリーダーに」と発言し、エリック・クラプトンも「この国は10年後に植民地になる」と言って白人至上主義者である政治家への支持を表明していたのだ。

なぜ、彼らはそんな発言をしたのだろうか。ボウイのドキュメンタリーも監督したことがあるシャー監督は「当時の世相に流されていたのでは」と推測する。

「移民に対する憤りや極右によって誤ったプロパガンダが蔓延していた時代です。ボウイも後に全面的に謝罪しました。クラプトンも右派の保守政党の議員を長い間支持していましたが、彼もつい最近になって自分の発言を後悔していると話しています」

この2人のアーティストの発言は、誰でも時代のうねりに流され、誤った判断をすることがあり得ることを示している。

RAR創始者、レッド・ソーンダズ
RARの創始者、レッド・ソーンダズ

音楽を愛し、憎悪を憎め


かつて移民排斥の立場をとったボウイやクラプトンに抗議すべく、「イギリス国民は1つだ」と立ち上がったのが、前述のRARを創設したレッド・ソーンダズという男だった。彼は社会派の演劇グループを持ち、昼は写真家として夜は演劇の稽古に勤しんでいた。

人種差別に問題意識を持っていたパンクバンドのザ・クラッシュのライブでのパワーに触発され、1976年にロンドン東部の印刷屋で、仲間と共に「RAR(ロック・アゲインスト・レイシズム)」を結成し、音楽業界にもはびこる差別に「NO」を突きつけた。ザ・クラッシュは翌年、この映画のタイトルでもある「WHITE RIOT(白い暴動)」を発表し、本格的にデビューした。
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文=督あかり

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