パンク・ロックの力で人種差別に対抗。40年前、若者が巻き起こした「白い暴動」

1970年代後半、不況にあえぐイギリスでは排外主義が台頭した。ドキュメンタリー映画「白い暴動」 から。


RARメンバー
「テンポラリー・ホーディング」を手にするRARのメンバー。クリエイティブな若者も多く参加した
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まずRARメンバーは音楽雑誌に、クラプトンの差別発言に対する抗議の手紙を投稿し、自費でクリエイティブな同人誌「テンポラリー・ホーディング」(「仮の掲示板」という意味)を創刊した。

既存の雑誌や新聞をコラージュする形式で、政治的主張とカルチャーをうまく融合させ、一般の人たちが自己表現できる場となった。本作の映画では、音楽とともに、切り貼りされた誌面のデザインも効果的に使っており、観る者を飽きさせない。

RARによる同人誌に掲載された文章からは、当時の若者の心がストレートに伝わってくる。
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「我々は反乱のための音楽が欲しい。お互いへの恐怖を打ち消す音楽。危機の音楽。いまの音楽。本当の敵を知る音楽。音楽を愛し、差別を憎め」

さらに、RARがイギリス各地でライブを開催することで、パンク・バンドだけでなく、差別される側であった移民2世によるレゲエ・バンドなどからも支持され、若者の間でムーブメントとして爆発的に広がっていった。

RARのライブ
当時の熱気あふれるライブの模様

極右政党NFもRARに対抗。襲撃に発展した


だが、彼らの音楽を通じた抗議活動は順風満帆ではなかった。NF(国民戦線)は、結成10年目の1977年に青年部を結成し、1年前に発足したRARに対抗して同様にパンク・バンドを扱う雑誌を発行し、若者を取り込もうとした。さらにRARのメンバーを標的に襲撃するようにもなった。

当時のイギリス社会には明らかに「分断」が生じ、混乱していた。

NF
NFの指導者、マーティン・ウェブスター

最終的にその軍配は、黒人と白人、アジア人などと共に手を結んだRARに上がった。1978年、RARは人種差別反対のカーニバル風のデモ行進と、大規模な野外コンサートを開いた。ザ・クラッシュやシャム69、トム・ロビンソン、スティール・パルスなど、人種に関係なく豪華なゲストを招いたが、直前には大雨が降り、当日まで客足が掴めなかった。主催者であるRARメンバーも不安の中だったが、雨は上がり、イギリス各地から10万人もの若者たちが集まってきた。

音楽フェスに、政治的、社会的な訴えが重なり、映画からも並大抵ではない熱気が伝わってくる。

SHAM69
シャム69のメンバー。RARの活動に賛同し、ライブに出演した
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文=督あかり

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