日の丸カラーが踏襲されるなら、ジャケットとボトムのいずれかを赤と白にするのとは違った新しいデザインが生まれるかもと期待もしました。期待した分、「結局そこに落ち着いたか」という思いはありましたね。
ただ、ジャケットを選んだことについて、AOKIは「ホスト国の礼儀としてあえてフォーマルにした」というような説明をしていて、納得できる説明ではありました。
もう一点、これは広報の問題ですが、ポーズにも背景にもアングルにも工夫のない写真が出回っているため余計に叩かれているのではないでしょうか。どんな服でも見映えがしなくなるような写真で広報をしてしまっている。継続的に「ラコステ」が手がけているフランスの場合など好例ですが、諸外国がどんな広報をしているかよく調べて参考にした方がいいと思います。
知られざる五輪公式服の歴史
赤いブレザーと白のボトムの組み合わせは1964年の東京大会で初めて採用された。日本が戦後初参加を果たしたヘルシンキ大会の紺とグレーの上下をはじめとして、日本の公式服に「日本らしさ」が表現されてこなかったことに対する反省から生まれたものだ。「ひのもとの国」という歌舞伎の台詞をきっかけに、太陽を表した日本の国旗に注目し、日の丸の色を選んだのだった。
1964年の東京オリンピック大会で行進する日本選手団 (Getty Images)
──前回の東京オリンピックと同じ「日の丸カラー」が採用され、変化が見られないように思えるのですが、いかがでしょうか。
いわゆる日の丸カラーというものについて誤解があるのかもしれません。日の丸カラーは、90年代まで、時代の変化や流行に合わせてアレンジされてきました。特に女子選手用の公式服にその傾向が強かった。1968年のメキシコ大会の赤いミニスカートや72年のミュンヘン大会の白いワンピースなど、いろいろあります。
90年代には、日の丸からインスピレーションを受け、森英恵や芦田淳が公式服のカジュアル化・多様化を意識したデザインをしています。芦田淳の時は、赤と白の太いボーダーのネクタイが印象的でした。つまり、ジャケットとボトムのどちらかを赤と白にすることに特別な意味があったわけではなく、公式服のデザインにおいて国旗の意匠を重視するコンセプトの連続性に意味があったということです。
さらに、日の丸カラーが中断した2000年代には、高田賢三やミズノによって、よりスポーティなテイストの公式服がデザインされました。
それが、2012年のロンドン大会で日の丸カラーが復活して以降、64年の東京大会の型が強く意識されるようになり、90年代まで試みられてきたようなアレンジや遊びの少ないスーツスタイルへと回帰していきました。
今回は2度目の東京大会ということで64年へのオマージュでもあったのでしょうけど、日本の公式服のデザインの底流として受け継がれてきた日の丸カラーというものがデザインを一つの型に縛り付ける制約でないということは確認しておきたいと思います。