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2019.12.06 18:00

私はまるで、使い捨てカイロだ。|乳がんという「転機」 #2

乳がんを経験した筆者が綴る手記(写真=小田駿一)

乳がんを経験した筆者が綴る手記(写真=小田駿一)

人間ドックの検査結果でマンモグラフィの「カテゴリー5」という結果が出た。ネットで調べたところ、「乳がんの確率、ほぼ100%」と出てきた

翌2017年3月17日の朝は、人生最悪の朝だった。がんかもしれない、どれくらい深刻かもわからない、当然ほとんど眠れず、水の中をもそもそと移動している気分で、這うようにして早朝から取引先へ向かった。取引先に対して、ある企画の提案をしたのだが、これがまた、25年間の会社人生で3本の指に入るほど最悪の1時間だった。

同じ社内で、広告制作をするクリエーティブチームを2チーム立てて、お互いを競わせる社内競合といわれるものだった。この日は、プレゼンテーションの本番で、2チーム同時に、同じ部屋で提案をした。その後も両チーム同席したまま、どちらの案が良かったか、議論が繰り返された。最終的に片方の案に決まったのだが、会議室を出たところで、勝ったチームのリーダーが、負けて肩を落としているメンバーに近づいて、声をかけていた。負けたほうは「よろしく頼む」とつぶやいていた。

あまりに報われない。必死で社内を走り回ったのに


こうなってしまったのには、さまざまな原因があった。どこでどうすれば、こんな悲惨な状況を避けることができたのか、必死で考えていた。答えは簡単には見つからず、自分の無力さにも苛立ち、目の前の苦しい光景に寝不足が重なって、吐きそうだった。

このまま乳がんが確定して、病状も進行していて、二度とこの職場に戻れなかったら、自分はあまりに報われない、とも思った。うまくいかないままに、死んでいく。必死で社内を走り回ったのに、死んでいく。まるで使い捨てカイロだ。

自分だけじゃない。今日負けたチームの人たちも、もしもこのまま病気になったら、使い捨てカイロのような気分になるだろう。こんな気持ちになる人を出してしまっていいわけがない。

昨日人間ドックの結果を受け取っただけなのに、気分は完全に乳がんだったので、一日でも早く手術を受けたかった。術前に風邪をひいたりして手術日が先に延びると嫌なので、マスクをしていた。

最悪の1時間から抜け出して会社に戻ると、通りすがりの知り合いに「まだ花粉症ですか?」ときかれた。花粉症というのんきな響きに無性にいらついて、「ううん、乳がん」と答えてしまった。相手はびっくりして、困っていた。もうやけっぱちだった。

奇しくもちょうど1カ月前に、私は日記のようにつけているブログで悲鳴を上げていた。読み返すと、これぞ中間管理職、という悲鳴だ。

「働けど働けど手が回らない、首も回らない。この3年、毎年悪化してきている。原因が、自分の、チームの、会社のどこにあるのか、はっきりわかっているのに、目の前の課題を片づけるだけでも十分にあふれかえっていて、どうにもならない。マルチタスクは得意なほうだと思うけど、好きじゃない。断捨離も得意だけど、まだ足りないのか。こういったタイプの仕事たちを、これだけの作業量こなした同じ境遇の人なんていないから、誰にも相談できない」

「ただ、3年続けてはっきりしているのは、今のままではこれ以上は無理だ、ということ。ガラッとやり方変えよう。かつての戦友や同期入社のメンバーが偶然かかわってくれているところは、なんとかなっている。切羽詰まって助けを求めたら、いっしょに泥舟に乗って漕いでくれた一流クリエーターもいる。先も見えないのに。一流の人は、こうだから一流なんだなぁ。泥舟にぽんと乗り込むときの雰囲気がみんなそっくり。かっこいい。ありがたさが身にしみる。いい仕事にするチャンス。ガラッとやり方変えよう」

で、やり方を変える前に病気が判明してしまった、というわけだ。我ながらせつなすぎる。

大量の案件を同時に全部こなす必要はなかった


なにより読み返してひっかかったのは、「マルチタスクが得意」というところだ。そんなものは、幻想だ。昔、初めての育児で、大泣きしている娘を抱っこしてあやしながら、足の指先で落ちたタオルを拾ったことはあったが、あれは肉体労働のマルチタスク。知的労働にはマルチタスクなんて成立しない。

例外もあるのかもしれないが、ほとんどの場合、一度に考えられることは一つだけ。一度に対応できる課題も一つだけ。一見マルチタスクに思えることも、実際には細かく切り刻まれたシングルタスクの集合体にすぎない。そんなこともわかっていなかったなんて。

だから、開き直って目の前の一つずつに対処していれば、それでよかったのだ。そもそも一度になんかできっこないんだから。大量の案件をかかえているからといって、それを同時にこなさなければ、全部やらねばとがんばる必要はなかった。

おそらく無意識のうちに大量のシングルタスクに切り刻んで対処していたのだと思うが、それでもあふれるならギブアップすべきだった。病気で急ブレーキがかかって、気持ちが崖っぷちまで追い込まれて、一歩一歩を前へ進めるのに必死な状況になってはじめてわかった。

こうやって一瞬一瞬を積み重ねていくことが、人生なのだ。
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文=北風祐子、写真=小田駿一

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