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乳がんという「転機」

11人に1人が乳がんになる時代。乳がんを経験した筆者が赤裸々に綴る(写真=小田駿一)

乳がんは突然、落雷のごとく襲ってきました。実際には、がん細胞は、何年もかけて私の体内で育っていたわけですが、出会いはまさに落雷のごとく。47歳になったばかりの、初春のことでした。

私には、医師をしている高校時代からの親友Mがいます。最初からずっと、彼女が強力なサポーターとして私に寄り添ってくれました。親友がたまたま医師であったことは、運が良かっただけと言ってしまえばそれまでなのですが、その運のおかげで心乱れることなく最短距離で治療の選択をすることができました。この幸運を独り占めせずに、乳がんの初動における要注意ポイントを紹介したいと思ったのが、本稿執筆の一番の動機です。

「マンモグラフィ:カテゴリー5」


2017年3月16日。

その日は早朝から5つの会議に出た。そのうち意味のある会議は1つだけ。無駄でも嫌でも出なければならない会議が多いのは、大企業の中間管理職の宿命だ。多い日には、1日10件会議が入る。会社と取引先の間を日に数回往復することもある。会議と会議が隙間なくつながっているから、移動は常に小走り。会議室から会議室へ、走る、走る。息を切らせて。今から思うとばかみたいだ。

あたりまえのように夜になり、いつものように終わらない仕事を、気持ちの中で終わったことにして帰路についた。夕食を作るには遅すぎる時間に自宅の最寄り駅に到着。早足でスーパーに寄り、一瞬食材を買いかけたが、料理をする気力が残っていないことに気づき、アサリがたくさんのった弁当を4人分つかんでレジに向かった。どうしてこの弁当にしたのかわからない。が、全体的に茶色っぽくて、実においしくなさそうな弁当だった。

3月半ば、まだ外は肌寒く、私は中綿入りの薄手のコートを着ていた。アサリ弁当と同じ色の、茶色のコートだった。郵便受けを開けると、聖路加国際病院で受診した人間ドックの検査結果が入っていた。3月3日に受けた検査の結果だ。人間ドックは、毎年欠かさず受けている。特に、乳房X線検査(マンモグラフィ)と乳房超音波検査(エコー)は、必ず。

10年以上前に、学生時代からの友人の智子が、乳がんになってしまった。彼女の術後に初めて会ったときに、「乳がんの検診は必ず毎年受けるんだよ」と命令に近い口調で言われた。そのアドバイスに従って、毎年両方受けていた。智子は、10年間の闘病の末、2015年の暑い夏の日に、空へ旅立ってしまった。

アサリ弁当も4人分持つと重たいなあ、毎年経過観察の胃のポリープは大丈夫だろうか、娘も息子もお腹すいたかな、と時間も気持ちも詰まった状態で、エレベーターに乗り込んだ。家のドアを開けると、手も洗わず、うがいもせず、茶色のコートを着たまま、人間ドックの封を切った。

いきなり目に飛び込んできたのは、「カテゴリー5」という文字だった。乳房X線検査、つまりマンモグラフィの欄。「病変あり」という記載もあった。前年もその前年もカテゴリー1と記載されているのにいきなり5って何だろう? と、スマホで調べた。1で異常なしということは、5は悪いのか。そもそも5段階なのか、10段階なのか。何が悪いのか。

心臓がドクドクと音を立てそうになりながら、「マンモグラフィ カテゴリー5」と検索すると、「がんの確率:ほぼ100%」という文字が目を刺してきた。ほかに「カテゴリー5=悪性」と断定している記事もあった。



私にとって、「カテゴリー5」は、事実上のがん告知だった。自分はほぼ確実にがんになってしまったのだ、と思った。嘘に決まっているとか、間違いかもしれないとか、なんで私が、とは思わなかった。ただ、呼吸が苦しかった。

いつまで生きられるのか、けっこうすぐに死んでしまうのか、「余命」という言葉が頭の中をぐるぐる回って、暗い宇宙に丸裸で放り出されたようで、怖かった。突如、胸の奥に重たい鉄の塊ができて、その塊が内臓ごと下に向かって引っ張りながら、ずーんと落ちていくような感覚だった。脱出しようのない暗闇にがががーっと引きずられていくようだった。うまく息ができなかった。

娘がおばさんに、息子がおじさんになるところまで見たい!!! と、喉から声が飛び出しそうになるくらい、強く思った。それまでは死にたくない。

ちなみに乳がんの診断から治療の過程では、大量のカタカナに遭遇する。最初に出会ったのがこの「カテゴリー」。どのくらいの確率でがんを疑うのか、つまり乳がんである可能性を5段階であらわした数字だ。「クラス」は細胞診でがんかどうかを判定するときの5段階分類、「ステージ」は病期、「グレード」は取ったがん細胞の“顔つき”の悪性度。カタカナの意味をちゃんと理解していないと、主治医との会話が成り立たない。

この状況下で「カテゴリー」の意味を深く調べようとしている自分にあきれつつも、震える指先で電話をかけた。その相手は、夫でも、親でもなく、親友のMだった。Mは、産婦人科の医師で、身内に二人も乳がん経験者がいた。

文=北風祐子 写真=小田駿一

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