患者さんの問診や検査結果、レントゲンの画像などのデータをもとにAIが診断し、ロボットが手術を行う──こういう世界になったら、医師は不要になるのではないかと。
しかし医療においては、こうした進化を悲観的に捉える必要はないと私は思います(そもそも、AIが完全に診断や手術を代替するには、かなり時間がかかるとも思いますが)。むしろ、診療フローが効率化して医師の業務が減ることで、患者さんの不安を取り除いたり、納得できる治療法を選ぶためにコミュニケーションをとったりということに時間を割けるようになるからです。
役割は多少変わるかもしれませんが、患者と医療の間には、きっとこれからも医師は存在します。その中で医師は、患者さんとのコミュニケーションのためのスキルを磨くなど、変化に対応していく必要が出てくると思います。
テクノロジーの進化に対応しなければならないのは、医師側だけではありません。患者さん側も変化する必要が出てくるでしょう。この進化に乗れるかどうかで、医療の受け手である患者さんの間に「医療格差」が広がる可能性もあります。
サービスの多様化・高度化で、受け手の選別眼が重要に
例えばフィンテックについて考えてみましょう。インターネットで保険の加入ができるようになり、資産管理が簡単になり、様々な投資支援アプリが生まれ、ビットコインなどの仮想通貨が登場するようになりました。テクノロジーの進化が具体化したサービスという形でユーザーに届くことで、一昔前まではごく一部の個人しか手を出さなかった資産運用を、普通のサラリーマンが当たり前のように始める時代になりました。
しかし一方で、しっかりした基礎知識がない人が手を出してしまうと、どの情報が信頼できるのか、どのサービスが自分にあっているのかがわからず、振り回されてしまうでしょう。知識がある人ほど、どんどんサービスを使いこなしてメリットを得ていく。両者にはどんどん差が広がっていきます。
これと同様の動きが、医療で起きる可能性もあります。
医療では、金融ほどの変化はまだまだ起きておらず、30年前の医療の「仕組み」と今を比べても、ほとんど変化がない状況です(もちろん、治療法や技術などは飛躍的に進歩しています)。国民の命に関わる医療の仕組みを変えるには慎重に慎重を重ねる必要があるから、ある意味仕方のないことでしょう。
とはいえ、変わりつつあることも確かです。スマートフォンやPCでのビデオ通話で医師の診療を受けられる「オンライン診療」などは、まさにその一歩とも言えるでしょう。医療市場においては、ウェアラブルやアプリなど様々なサービスの開発も進みつつあります。こうした変化のメリットを多くの人が得られるよう、医療における一人ひとりの「選別眼」を鍛えていく必要があるでしょう。
実際にアメリカでは、様々な医療サービスが生まれ始めています。その背景には、アメリカでは日本のような公的な保険に加入できる人は限られており、各自が民間保険に選ぶ(入らない人もいます)という仕組みがあります。医療が民間に委ねられる部分が日本より大きいため、多様なサービスが産まれ、CMなどでどんどん情報も発信されます。
先ほどお話したような「情報格差」が産まれやすい素地はありますが、医療費負担が自分に返ってくる環境だからこそ、自ら正しく必要なものを選ばないといけないという意識を持って、適切な知識をつけようとしている人が多いと感じます。
もちろん医療は専門性が強く、精度の高い選別眼を持つことは難しい分野です。ただ、医療における選択は、自分や大切な人の一生を大きく左右しうる非常に重要なもの。医師をはじめ医療従事者と治療の方針を話し合い、納得できる選択をするには、一人ひとりがある程度の基礎知識と関心を持つことが必要なのではないでしょうか。私はこの基礎知識と関心とを併せて「医療リテラシー」と呼んでいます。