ビジネス

2019.11.23 17:00

【独占】ロジャー・フェデラーがある企業に「給与ゼロ」で参画する理由

ロジャー・フェデラー(Getty Images)


ただでさえ日本のランニングシューズ市場はレッドオーシャン。何から始めていいかわからず、途方に暮れたという。
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当時会社から渡されていた年間予算は、わずか数百万円。雑誌の見開き広告に出稿しようものなら、その約半分が吹き飛んでしまうほどだった。巨大なブランドのように大々的なプロモーションはかけられない。

「他と同じことはやれないし、やっても負ける。いまできることは、潜在ユーザーに対して直接紹介するしかないと思いました」

それから駒田はSNSやブログを通じて情報発信をしながら、国内で行われるトライアスロンやトレイルランのレースに足を運び、ランナー一人ひとりにOnの良さを語りかける地道な活動を始めた。
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「昔から喘息持ちだったので、走ることは大の苦手。ずっと避け続けてきました。でもあるとき、ひょんなことからトライアスロンに挑戦することになってしまったんです。最初は嫌で仕方なかったけど、Onの良さを伝えるには自分が走って見せることも大切だと思い練習をつづけて無事完走。それから、ランニングは習慣になっています。最初は嫌々引き受けた仕事でしたが、徐々にOnが子どものように愛おしくなってきたんです」

「Onの日本支社を立ち上げたい」

少しずつOnのことを知ってくれるひとも増え始め、ようやく気持ちが前向きになり、仕事が楽しくなってきたときだった。14年9月、会社から「Onとの契約が打ち切りになった」と通告を受ける。駒田に任されたのは、敗戦処理と代わりの代理店を探す仕事。「さすがに会社をやめようと思いました」と駒田。

失意に沈んでいたとき、駒田に一本の電話があった。On共同創業者のキャスパー・コペッティからだった。

「要件は、日本視察のアテンドと代理店リサーチの依頼でした。でも私はこれがラストチャンスだと思い『Onの日本支社を立ち上げたい』と伝えたんです。その2週間後、直接会ってプレゼンをしました。ただ、その後2カ月以上音沙汰なし。もうダメかと思い、ひたすら無気力な日々を過ごしていました」

すると3カ月後の14年12月、キャスパーから日本支社設立が決定したとの知らせが届く。その後本社でのプレゼンを経て、15年5月、はれて横浜に会社を構えることになった。

それから駒田は、オフィスの隣に居住スペースをつくり仕事に没頭した。そのころにはランニングはもはや生活の一部になり、オンとオフの境目も徐々になくなっていった。

「On Japanは来年で5周年を迎えます。来年は、Onがスイスのブランドであることを広く知らせることが目標。今回ロジャーが加入したことは、東京五輪という絶好のイベントも相まって、日本での認知拡大にも大きく寄与するでしょう。今後は特に若い方々に広く知ってもらい、ランニングの文化を醸成していきたいと思っています」

文=石原龍太郎

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