では、「一緒に働く」とはどういうことか。
今回の契約によってフェデラーが担う役割は主に3つ。商品開発、マーケティング、そしてOn社内の企業文化醸成である。これまで数々のシューズに足を通してきたフェデラー自身の経験をシューズ開発に活かしつつ、デザイン面にも積極的に関わっていくという。
On本社にて。右から2番目がロジャー・フェデラー(提供)
「Onのグローバル全体の方針を決めるシニアチームの一員としてジョインする形になります。ロジャーは投資家としてOnに出資もしており、会社のメンバーとして、会社の大上段である事業戦略からより現場に近い商品開発、マーケティングまで広く関わることになります。しかも、給与はゼロで」
2020年には、実際にフェデラーが企画から関わった商品が発売予定。駒田は明言を避けたが、フェデラー自身が広告として登場する可能性もありそうだ。もし出演することになれば、通常は莫大な費用が発生するが、「会社のメンバー」ゆえにタダ。
給与もゼロ、広告出演料もゼロ、商品企画に関わり、投資家として資本も入れてくれる。幸運にも、Onにとってはこの上ない理想的な状態ができたといえる。
最初、売れたのは3日で16足だけ
駒田が初めて履いた、Onのシューズ「クラウドサーファー」(On提供)
ナイキやアディダス、アシックスなど巨大ブランドがひしめくランニング市場において着実にシェアを伸ばし、フェデラーの加入でさらに勢いをつけようとしているOn。日本では15年から日本法人であるオン・ジャパンをスタートし着実にファンを増やしているが、その道程は平坦ではなかった。
駒田は元々、スイスに本社をおく商社、DKSHの日本支社で働いていた人物。当時担当していた時計ブランドを成長させるべく奮闘していたとき、突然上司から呼び出された。12年12月のことだった。
「Onというシューズブランドのマーケティングを担当してくれ、と突然言い渡されました。当時やっていた仕事がもう少しで大きく花開こうとしていたタイミングだったので、即答で断ったのですが、Onをやるか会社を辞めるかの2択を迫られた。理不尽さを感じながらも、ひとまず引き受けてみることにしたんです」
その後日本市場の調査や販路を模索しつつ、日本初のお披露目となった13年2月。とある展示会で小さなブースを構え、駒田は「よし」と意気込んで臨んだ。しかし蓋を開けてみると、販売数は3日間でたった16足だけ。惨敗だった。「まったくだめで、暇疲れしましたよ」と駒田は苦笑いで振り返る。