たとえば個の時代といわれる今、『自分で発信する』ことは避けて通れない。
「私も新商品ができたらライブコマース(ライブ動画を使ったEコマースの手法)で紹介することもしますが、そういうときに、多少はナレーターの修行で体得したことを自然に生かしているのかとは思います。出版社でライターをやらせてもらったことが、現在もやっているイッツコムの『デイリーポータルZ』へのライター応募の動機になりましたし」
彼女が職業工作家という「何者か」にたどりついたいきさつには、特異な感性のみならず、産業界や一般市場との共通言語を持ち合わせていたことも貢献しているようだ。
また、「続かなくても色々やってきたことには、『ちゃんと可能性をつぶす』という意味でもよかったと思います」という。しかるべく時間や努力を投資して「やり切った結果ダメだった」という経験によって思い残しをなくすことが、人生の後工程にとって大事だというのだ。
「たとえば私の場合、ナレーションの学校にちゃんと行ってなかったら、今だに『ナレーターやキャスターになりたい、なれたかもしれない』という思いをくすぶらせていたかもしれません」
産業化のジレンマ
冒頭で紹介した受賞歴や商品化の成功があった後、乙幡は2017年、「ハトと仲良くなれるハイヒール」を制作、これが海外でじわじわとバズを起こした。起点はある海外のサイトが、上野公園でハトヒールを「試着」する乙幡の画像をネットに公開したこと。
実は現在、「kyoto ohata shoes」でグーグル検索すると、10万件近い海外のサイトにヒットする。
というのも、海外サイトの1つが「乙幡啓子」の名前を「Kyoto Ohata」と誤記し、世界中にこの誤った名前で拡散されたためだ。「チープな黒いハイヒールを買って念入りに細工し、ハトそっくりにしてしまった日本人アーチスト」乙幡啓子ことKyoto Ohataの名前は、こうして世界のネット空間にデビューした。
ハトの顔はヒール部分についているので、後ろ向きに歩かないとはハトには近づけない。「ひたすらハトに向かって後ずさりする」ことが重要
こうして無から立ち上げた作品を、唯一無二、そうでなくても「希少」なコレクターズアイテムにしたり、手作りの一品ものにとどめず、産業化、実装化に取り組むことになった上ではもちろん、いきさつがあった。
「初めて商品化に取り組んだのはホッケのペンケースで、2012年ごろです。作品として作ったものが、反響が大きかったので試みにたくさん作ったら、ぱっと売れてしまったんです。そこで友人に工場を紹介してもらって持ち込み、サンプル作成に始まり、相当熱したやり取りを重ねて、商品化に踏み切りました。最初は限定的にしか売っていなかったんですが、偶然「東京インターナショナル・ギフト・ショー」の担当者の目に止まり、2回ほどギフトショーに出品したんです」
商品化第一号「ホッケの開き」ペンケース。ファスナーを閉じると「開かれる前の」ホッケに戻る。
これを始め、バッグ類や他の雑貨も商品化にも踏み切り、取引するお店も20店舗以上になった。問屋とも縁ができ、そこからアマゾンにも出品して、マスマーケットにデビューすることになる。