モナリザの開発ストーリーには、セイコーエプソンとイタリアとの意外なつながりがある。
舞台は、世界中からセレブリティが集まる高級リゾート地として有名なイタリア・コモ。ヴィラデステ・コンクールデレガンスという名前を見聞きしたこともあるかもしれない。美しいコモ湖畔で1929年から続いているこのクラシックカーの品評会は、世界で一二を争う品格の高さと貴族趣味で賞されてきた。
一方で古くからシルク産業および高級捺染の聖地としての一面も持ってきた。だが、1990年以降は他国の安価な製品に圧倒され、衰退の危機に。
抜本的な改革のために白羽の矢が立てられたのが、“テキスタイルプリンター”の技術だった。伝統的な捺染装置の製造を手掛けるロブステリ社が、セイコーエプソンのインクジェット技術に目をつけ、2000年初頭「マイクロピエゾ式のプリントヘッドを使用したい」と要請したのだ。そこから共同開発に至ったのがデジタル捺染機モナリザだ。
ロブステリ社は協業を進めていく過程でセイコーエプソン傘下となるが、この成果であるデジタル捺染機モナリザは、デザイン原画を元にフルカラーで布や皮革を「染色」することができ、もちろん印刷版も洗浄水も必要としない。当然ながら刷る過程はプリンターで完結するから、技能士に頼ることもなく、デザイン上の制約も少ない。
アナログ捺染では手間がかかって難しい、小ロットの生産を繰り返すことはむしろ大得意だ。産業が抱える問題を解決しながら成果物のクオリティも向上させる意味で、これは理想的な技術革新だった。フルカラーでどんなデザインでも染められてしまうなんて、デザイナーはどれほどクリエイティビティを刺激されることだろう。
未来を描くプリントヘッド
一消費者目線では、エプソンブランドといえば、綺麗なプリンターという一義かもしれないが、マイクロピエゾの技術はコンペティターと比較して独特。小さなプリントヘッドを通してエプソンの未来が描かれる、と言っても過言ではない。広丘事業所には約255億円が投資され、18年にコアとなる最先端のプリントヘッドを生産する新工場が新設された。
「プリンターは色彩を媒体に転写する技術じゃないですか。インクジェットほど究極的にシンプルで効率の良い技術って、ほかにないと思うんだよね」
親しみやすい口調で話すのは、この「プリントヘッドの生みの親」とも言えるセイコーエプソン代表取締役社長の碓井稔(うすいみのる)だ。
碓井は1979年に信州精器(当時)に入社。エプソンブランドが制定された4年後のことだ。東京大学工学部を卒業後、新卒で東京にある有名企業に就職するも、大企業ならではの管理体制に閉塞感があり、事業の将来性にも不安を感じていた。入社して半年たったお盆に地元・長野に帰省した時、たまたま新聞で小さな求人広告を目にする。興味の赴くまま面接を受けたのが、信州精器だった。
「大きな会社ではなかったけれど、伸び伸びとした社風で、自分たちが中心になって新しい世界を作っていこうという気概が感じられました。これからはコンピューティングの時代だ、という思いも会社と一致したのです」(碓井)