ゲームで感動して泣ける時代
武田:あたかも自分が運転しているかのように、コースを走ることができる『セガラリー・チャンピオンシップ』。これは、まさにアーケードゲームの本質である「身体性」を生かしたゲームでした。それ以降は、家庭用ゲームの開発が中心となってきたんですよね。
水口:アーケードゲームは体感性を重視します。一方、家庭用ゲーム機では、体感はなくとも、家でじっくり、何時間でも遊べます。エモーショナルなストーリーや、音楽などで心を揺さぶる時代がやってきました。20年くらい前から、僕が学生に質問し続けていることがあります。「ゲームで泣いたことがありますか?」と言う質問なんですが、20年前は、手を挙げる人はほとんどいませんでした。しかし、現在はほとんどの学生が手を挙げます。
武田:それほど進化しているのですね。私も先日、水口さんの『Tetris® Effect』(2018年)をクリアした時、ジーンと目頭が熱くなりましたね。
水口:それはありがとうございます。1994年発売のプレイステーション、1998年のドリームキャストなど、従来のゲーム機に比べ、解像度が飛躍的に向上しましたよね。僕自身も1998年頃、渋谷に拠点を構えて、新たな開発チームを立ち上げました。
武田:それが、『スペースチャンネル5』(1999年)や『Rez』(2001年)など革新的なゲームを制作したユナイテッド・ゲーム・アーティスツですね。当時、水口さんの渋谷・宮益坂にあった会社に遊びに伺いました。そのとき、水口さんと飯野賢治さん(2013年死去)が、夜中に『ウイニング・イレブン』(ゲームソフト・1995年)で子供みたいに夢中になって遊んでいたのにすごく驚いたことを覚えています(笑)。
水口:懐かしいですね。彼とはよく語り合ったり、遊んだりしました。どうやったらもっとみんなを感動させられるか、物語の力や音楽の力で、ゲームをもっと進化させるにはどうすればいいのか、試行錯誤を続けていた時代です 。
武田:水口さんのゲームは、物語的というよりは、音楽的です。
水口:僕は特に、音楽的な体験を、ゲームの体験とどう融合できるかを考え続けていました。音楽と映像の融合表現も好きだったし。ミュージックビデオも大好きでした。
武田:大学時代、ニューヨークのタワーレコードに最新の音楽CDをスーツケースいっぱいに買いに行っていたというエピソードを聞いたことがあります。
水口:そんなこともありましたね…… 僕の学生時代は、インターネット前夜ですから、最新の音楽は実際に足で動いて、探すしかなかった。とにかく最新のCDやビデオをスーツケースいっぱいに詰めて、街を歩き回って、新しいインスピレーションを探していました。大学時代の恩師、武邑光裕さん主催の芝浦GOLD「エコナイト」で、映像や音楽の素材を準備するという裏方作業もやってました。あの頃の経験すべてが、自分の血肉になっていると思います。
周りの不理解の中、使命感で制作した『Rez』
武田:当時のゲーム音楽は、シンプルな電子音を組み合わせたようなチップチューンでしたが、この25年でデジタル音楽も劇的にテクノロジーが進化しています。
水口:その過程とともにクリエイションできたのは、楽しかったですね。とはいえ、つい最近までは、完成とともに満足できたことは、過去1度もなかったですね。
武田:そうなんですか? あの圧倒的没入感の『Rez』も?
水口:はい。フラストレーションを抱えながら開発していました。よくプロジェクトの終盤になると、「今回もここまでしかできなかったか」と落ち込んでしまうんですよね。もちろん、作ること自体は楽しいんですけど、技術的な制約が多くて、頭の中のイメージのほとんどを諦めざるを得ないんです。
武田:そうなんですか……それは意外です。