クラス替えがあり、新たな顔ぶれが揃った小学5年の4月、1996年のことだった。W先生が私たちの小学校に異動してきて、担任になった。着任してすぐのある日、W先生が出張で数時間、教室を空けたことがあった。不在の間、先生は私たちに白い紙を配り、このような課題を与えた。
「自分の『手』を描きなさい」
小5にもなって、なんて簡単な課題なんだろうと思った。私たちは紙の上に手を乗せて、周囲を鉛筆でぐるっとなぞった。一丁上がりだ。
ものの1分で課題を済ませた私たちは、担任不在の教室でおしゃべりに花を咲かせた。昨日のテレビ番組のこと、好きな子のこと、友達の悪口、話すことは山ほどあった。
途中でふと心配になって、紙の上の手型に爪や関節のシワ、影を書き足しておいた。「私は一応ちゃんと描きました」という言い訳をするためだ。そんな作業も5分とかからなかった。
その後、課題を回収したW先生からのフィードバックが、冒頭の叱責である。手の輪郭をなぞっただけで提出した子達のことを、特に厳しく叱った。親以外の人がここまで怒っているのを見たのは初めてだった。あとで適当に書き足しただけの私も同罪だと思った。
今思えば、きっとW先生は、この課題を通じて各々の個性や可能性を推し量ろうとしていたのかもしれない。
地方の国立大の附属小学校。塾に通っていた子も少なくなく、運動能力に長けていた子も多かった。W先生はそんな私たちの鼻をへし折った。「言われたこと、決められたことをやるだけの人間は、人間ではない」という趣旨のことを仰っていたように思う。「もっと主体的に生きろ」とも。目が覚めたような気持ちだった。
今でこそ、アウトプット型教育やアクティブラーニング、インタラクティブ・ラーニングの重要性が指摘されているが、20年以上前に私たちが地方の小学校でW先生から受けた教育は、実践的なアウトプット型教育そのものだった。
例えば社会科の授業。先生は私たちにこう尋ねた。「国内のじゃがいもの生産量が最も多い都道府県は北海道。それでは第2位は?」