この頃には、W先生の言う「主体的に生きろ」ということがどういうことか、また何事にも主体的に取り組むことの面白さを子供ながら理解していたように思う。当時、先生に認められたい気持ちもあって、皆必死でアウトプットに取り組んでいた。良いアウトプットをするためには、質量ともにかなりのインプットが必要だということも学んだ。
あれから20年以上が経った。新時代を迎える局面になり、W先生の教えをよく思い出す。いま白紙を渡され、「自分の手を描きなさい」と言われたら、何を描くだろう。先生に出会わなかったら、どんな人生を送っていただろう。
答え合わせをするかのようにこの本を手に取った。金川顕教著『仕事と人生を激変させるなら99.9%アウトプットを先にしなさい』(SBクリエイティブ、2019年) 。
著者の金川氏は「人生の9割はアウトプットで決まる」と説き、「ビジネスに成功している人は、必ずアウトプットがしっかりできている人たちばかり」とする(「はじめに」より)。
そのうえで「インプット→アウトプット」の順番を逆にし、「アウトプット→インプット」の順で物事を進めれば、仕事と人生が激変する、と主張する。
よく考えれば、大学の論文でも、就活でも、インプット以上にアウトプット力が問われていた。仕事を始めれば、日々がアウトプットの連続だ。社会は、人々の仕事=アウトプットによってできていると言えるのかもしれない。
筆者の仕事上、原稿を書くことをアウトプット、取材や情報収集をインプットとすると、インプットを増やせばアウトプットに繋がるかというと、なかなかそうはいかない。しかし、アウトプットを志向すればするほど、質量ともによりよいインプットが必要になってくるものだ。原稿がうまく書けない、と生みの苦しみに苛まれて初めて、自らのインプットの浅薄さを呪う。
かつて、インプットやアウトプットが制限されていた時代があった。
平成の時代に生まれたインターネットやSNSは、世界中の人々にアウトプットの舞台をフラットに提供する装置として大成功した。その結果、誰もがインプットを効率的かつローコストでできるようになった。
新時代、進化し続けるAIによって人間の仕事がなくなるかどうかを心配していても仕方がない。仕事としてアウトプットの機会があるということ自体が、実は幸せなことなのかもしれない。
結局は自分で自分の尻を叩き、アウトプットを志向し、その質を磨いていくしかないのではないかと思う。