ジェネリック・シティは現在、新興国を中心に広がっており、人口が98億人に達するとされる2050年に向けさらなる拡大が予想されています。
多くの人々に分け隔てなく快適な環境を提供することは、絶対的に必要なこと。しかしながら、世界中の新興都市で都市や建物のジェネリック化が進むことで、これまで育まれてきた地域ごとの生活や文化などのアイデンティティが失われてしまうのでは? と警鐘を鳴らす声も上がっています。
今回は、安藤忠雄建築研究所で研鑽後、ベトナムの地で未来の建築を見据える西澤俊理氏に、ますます均質化が進行する世界の中、新興国で起こっている現実と、そこで暮らす人々が豊かな文化を次の世代へと受け継いでいく術について、お話を伺いました。
南国の伸びやかさやおおらかさを表現した住宅「Thong House」。世界中で高い支持を集める建築メディア「ArchDaily」で、年間3600を超えるプロジェクトの中から閲覧数1位を記録した(Thong House: GA HOUSES 161)。
──なぜ、日本の建築業界を代表する安藤忠雄建築研究所で経験を積まれた後に、建築業界が発展しているとは言い難いベトナムに進出されたんですか?
安藤事務所に在籍中、数ある海外プロジェクトの中でも、特にスリランカでの住宅プロジェクトに魅力を感じたのが、東南アジアを意識するようになったきっかけです。事務所の先輩が撮影してくる現地の風景、施工中の写真、それから施工の進め方など、あらゆる面でダイナミックというか、人々も建築も活き活きしているように感じました。
これはあくまで一般論ですが、日本をはじめとする先進国では、モノの良し悪しを定量的に評価する傾向が強まっているように感じます。創造性よりも機能性を優先し、多くの消費者が期待する機能を、短期間で確実に提供することを強く求められるケースが多い。
たとえば最近の高層マンションの内装は確かに便利で快適ですが、窓やドア、床材や壁材に至るまで高度にパッケージ化されているため、どうしても既製品のカタログから選んだパーツを組み合わせるような作り方になりがちです。今回はこんな窓を作ってみようとか、こんな扉を作ってみよう、みたいな話にはなりにくい。
建築を高度に製品化することで、ある意味では快適で効率的な生活を実現できるかもしれません。でも私は、もう少しおおらかで野生的な環境で、住まうことや豊かさの意味について見つめ直したいと思ったんです。
確かにベトナムは、まだまだ発展途上の部分も多いです。しかし同時に、新しい試みや挑戦、その試みから生じうる失敗をも、一般の人々が受け入れるだけの寛容さがあります。「いざとなったら、自分で修理すればいいや」くらいの自信を皆が持っていて、例え簡素な家に住んでいようと、みんな活き活きと楽しそうです。
このような風土だからこそ、利便性や機能ではない、人生の豊かさや生きることの楽しさを、建築に見出せるのではないかと。
それに加え、東南アジアやモンスーン地帯の感性から出発した豊かさを、現代建築においても真面目に考えてみたいという想いもありました。『徒然草』の「家の作りやうは、夏をむねとすべし」という一節は有名ですが、近年の世界規模での温暖化を踏まえても、熱帯気候的な美学や感性が地域の枠を超えて、広く人々に訴えかける力を持つ可能性は十分にあると思っています。