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世界37カ国、700万人が愛読する経済誌の日本版

TADAO ANDO(Photo by Peter Stember)

「仕事の依頼は大抵、突然事務所にかかってくる電話から」。

世界の富豪たちは、「邸宅」という彼らの理想を体現する最後のプライベートの夢を、安藤忠雄にどう託し、彼はいかに応えているのだろうか。



私の建築家としての経歴は、個人宅の設計から始まっています。1970年代から40数年、海外や日本で個人宅をたくさんつくってきました。

最初は、身近な場所から仕事を始めました。その頃につくったもので、私の実質的なデビュー作でもある「住吉の長屋」(1976、写真下)は、当時評判が悪かったです。

大阪の住吉大社の近くの長屋の建て替えでした。そこで私は外部を窓のないコンクリートの壁で覆って外界と隔絶させ、中庭に入ってくる光や風で住み手に四季の移ろいを感じてもらおうとしましたが、室内は冷暖房がなく、快適さや利便性はいいとは決していえません。依頼主はもともと長屋の住人だったので、そのとき意図していたのは、中庭を置くことでプライバシーを保つことでした。いまでも彼はそこに住んでいて、「中庭から見えるのは自分の空だ」と語っています。
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1992年に、ルチアーノ・ベネトンにアートスクール(FABRICA, イタリア・トレヴィゾ2000)の設計を依頼され、17世紀のヴィラを改造してつくりましたが、その後、彼の長男のアレクサンドラ・ベネトンから自宅をつくってくれと頼まれました。

彼の妻は有名なスキーのメダリストで、敷地内には大きなプールやジムがほしいといいます。ゆったりと住める家に住みたいというリクエストとともに、彼らが最も重視したのも、外部からのプライバシーをしっかり確保することでした。私が手がけたのは、地中に建物が半ば埋もれた「見えない家」(2004)。敷地の周囲も緑で覆い、住み手が静かに暮らしたいという要望に応えたのです。

仕事の依頼はいきなり電話から

仕事の依頼は大抵、ある日突然事務所にかかってくる電話から始まります。私には海外の仕事を取りつけるコーディネイターはいませんから、直接連絡が入ります。事務所のスタッフが「ジョルジオ・アルマーニから電話です。ご本人だそうです」。そして、ミラノに行くことになり、アルマーニの劇場や本社の設計に携わりました。いまでも彼とは付き合いがあります。

人間同士の心の交流がないと個人宅の設計を引き受けるのは難しい。個人宅の設計は依頼主と後でもめることも多いといわれますが、私は違います。相手の話を聞いて、こちらはプランを出す。心が通じていれば、クレームはありません。これまで個人宅を設計した依頼主のほとんどの人たちといまも付き合いが続いています。

クライアントと共につくる夢

「シカゴの住宅」(1997、写真下)の設計を依頼されたフレッド・アイキャナーとの出会いは、1991年にニューヨーク近代美術館(MOMA)で開催された私の個展を彼が観に来たことから始まりました。いまでは25年の付き合いです。


ニューヨークで会った後、しばらくして彼から「シカゴの自宅を建て替えたいので設計してほしい」と言われました。現地を訪ね、仕事を引き受けることにしましたが、私にとって初めての海外での住宅設計だったので、うまくいくだろうかと若干の不安もありました。彼は、「住吉の長屋」や「小篠邸」(1981)などの私がそれまでにつくった住宅をよく研究しているようでした。

構成=中村正人

 

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