閉じる

PICK UP

世界38カ国、800万人が愛読する経済誌の日本版

メディアアーティスト 市原えつこ

2050年、私たちの生活はどうなっているのだろうか。

そんな疑問から、Forbes JAPAN 12月号では、ビジョナリーなリーダー、学者、アーティストと「未来を見通すメソッド」を探る特集「BEST VISIONARY STORIES」を実施。「暮らす」というテーマで京都大学学長の山極壽一氏、「遊ぶ」というテーマでチームラボ代表の猪子寿之氏など、各分野の有識者に未来予想図を聞いた。

今回、「2050年の“弔う”」というテーマで話を聞いたのは、メディアアーティストの市原えつこ氏。市原氏が発表している代表的な作品に、「デジタルシャーマンプロジェクト」がある。これは、3Dプリンターで印刷した故人の顔を家庭用ロボットに付け、生前の人格や口癖をプログラミングすることで、まるで魂が憑依したように見せるもの。入力された人格は49日目で消滅する仕組みになっている。

「死」とは人間誰しもに訪れるものであり、死者を「弔う」行為は過去脈々と行われてきた。非常にセンシティブな領域であるため、彼女の作品に対する意見は賛否ある。それでも真剣に「死」を、そして「弔う」という行為を見つめ続ける市原氏は、「未来の弔い」をどう考えているのだろうか。

弔いは、誰のためのもの?

──「弔う」とは、人が生きているうちに幾度となく経験する普遍的な行為であり、同時に人間特有の営みでもあります。これからテクノロジーの発達に伴う社会の変動の中で、この「弔う」という行為の意味や形にも、何かしらの変化が訪れると思われますか。

まず前提として、「弔う」の本質は30年後も100年後も、変わることはないと考えています。

──「弔う」の本質、ですか。

さまざまな住職さんなど神職の方にお話を伺ってきて感じたことなのですが、葬儀や法要といった一連の弔いの工程は、「残された生者たちの心を鎮めるためのシステム」なのではないかなと。

──おそらく「弔い」という言葉について、多くの人たちは「死者のために行なう行為」だと認識しているのではないかと思います。そうではなく、弔いは生者のためのものであり、そこに本質があると?

もちろん、弔いには「死者の魂を手厚く葬る」という意味合いも強いです。私個人としてはそういう宗教観、スピリチュアルな側面の意義は信じているし、大事にしたいと思っています。ただ、「弔い」という行為が現実にもたらす効果を見つめ直すと、やはりこれは遺された人々が死者と適切に距離を取って前向きに生きていくための合理的な処置だと感じるんです。

──前向きに生きていくため。

人間にとって、親しい人との死別は耐え難いものです。そこで死者との距離の取り方に失敗すると、立ち直れないほど心に深い傷を負ってしまうこともある。大規模な飛行機事故や災害時の弔いについて住職さんに話を聞くと、遺体の出てこない遺族の方々が、とくにつらい思いをされていると聞きました。「もしかしたら、どこかで生きているんじゃないか」と、数年経っても死を受け入れられずに、生きている希望を捨てきれず、かえって苦しみ続けるケースも少なくないそうです。

私も大好きだった祖母が亡くなった時、死に目にあっていなかったこともありはじめはまったく実感が持てませんでした。けれども、葬式で死化粧を施された祖母の遺体を見て号泣しながら花を添えて、その遺体が火葬場で焼かれて骨になって、親族みんなでお骨を拾って……そうしてやっと「ああ、おばあちゃんは本当に死んじゃったんだな」と納得できたんです。

──弔いのプロセスを経たことで、大切な人の死を受け入れられたと。

まさにそうですね。人は弔いの儀式をもって、故人の死を受け入れる体制を整えるのだと思います。ちゃんとお別れをして、自分自身が健やかに、その後も続いていく明日を生きていくために。

構成=西山武志 写真=小田駿一

あなたにおすすめ

合わせて読みたい