歪んだテック社会の救世主、異色の経歴を持つ日本人女性

ネストCTO 松岡陽子。シリコンバレー・パロアルトのネスト本社にて。


グーグルX「ムーンショット」の時間

07年、ヨーキーはNPO「YokyWorks」を設立した。 ここに両親に連れられて、車椅子のマリアという7歳の少女がやって来た。喋ることができず、筋肉を動かせないため、笑ったり喜んだりといった表情もつくれない。使えるコミュニケーションは、「トイレ」「痛い」「お腹がすいた」という文字に、ゆっくりと時間をかけて指をさすだけだ。

マリアの両親から説明を聞いているとき、ヨーキーは「ねえ、マリアが退屈そうよ」と、両親に声をかけた。父親がiPhoneをマリアに渡すと、ぎこちない動きながらも、画面上でゆっくりとスワイプをしている。画面を撫でるこの動きを応用できないか。コミュニケーションデバイスをつくるプロジェクトが始まった。すると、マリアはスペルを覚え、単語を学び、エッセイを書けるようになっていった。

「このようなプロジェクトで、学校に行けなかった子どもたちが行けるようになれば」と、彼女は言う。


2007年にNPO「YokyWorks」を設立。身体に障害がある人々に新しいテクノロジーによるソリューションを提供する。(写真=University of Washington)

さて、こうした研究の問題は時間だ。大学の研究者として論文を書いていたら、世の中の人を助けるには何十年かかるかわからない。グーグルXでも時間のジレンマがあった。

「ラリー(・ページ)もセルゲイ(・ブリン)も本当に世界を変えたいという思いが強い、ミッション・ドリブンの人たちです。ただ、10年から15年をかけたムーンショットよりも、もっと早く、いま生きている人を助けたい。そんなとき、マットは今すぐに製品化できるものを望んでおり、それでネスト入りを決めたのです」 

サーモスタットは入り口だろう。人間の心理が「陽」ならば、補完していく機械が「陰」であり、人間が機械にコントロールされるのではなく、「そこに住んでいる人」がコントロールしているのは自分だという気持ちにならなければ、安心や快適はない。サーモスタット以外の今後の展開でも、微妙な機械との関係性が重要になるのだろう。 

ネストでのあなたの役割は何ですか?と彼女に聞いた。「うーん、日本語だと何と言うんだろ」としばらく考えて、彼女はこう言った。「ノーススター」。

「北極星をセッティングして、『みんな、そっちじゃなくて、こっちだよ!』と、指をさして進むべき地図をつくる。儲かるアイデアがあっても、私たちはミッションで動くんです」

では、秘密だという今後の製品には、ヨーキーさんの性格が出ますね。そう聞くと、彼女は笑みを浮かべてこう言うのだった。 「確実に出ますね。私の子どもだから」

<YOKY MATSUOKA’S LIFE HISTORY>
1972:会社員の父と専業主婦の母の長女として誕生。

1987:小学生の頃からテニスを始め、16歳でプロテニスプレーヤーを目指して渡米。

1993:けがや故障が続いて10代後半にプロテニスプレーヤーへの道を諦める。得意の数学と物理を生かし、「テニスバディを作る」と決意。高校は飛び級して2年で卒業。1993年にカリフォルニア大学バークレー校を卒業した。

1995:修士課程からマサチューセッツ工科大学(MIT)へ。電気工学とコンピュータ科学の修士号を取得。

1998:MITで電気工学とコンピュータ科学の博士号を取得。ニューロロボティクスラボの部長も務める。その後2000年までハーバード大学で博士研究員を務める。

2001:カーネギーメロン大学で助教授として勤務を始める。学生時代のマット・ロジャースを指導する。

2003:結婚。2年後に女の子の双子が誕生。その2年後には長男誕生。子どもの環境を考えて西海岸へ。

2006:ワシントン大学で准教授として勤務を始める。

2007:米国で天才賞と呼ばれるマッカーサーフェロー賞を受賞。

2009:グーグルXの共同創業者として立ち上げに関わり、10〜15年先を見据えたイノベーションの研究に携わる。

2010:元教え子のマット・ロジャースに再会。アイデアに惹かれてネストの技術担当副社長になる。サーモスタットの開発などに携わる。

2015:ネストを退社し、ツイッター社へ。健康問題で3日で退職。その後、健康関連企業のカンタス社のCEOに就任。2016年にはアップル社に入社。

2017:アップル社を退社し、ネストに最高技術責任者として復帰。

文=藤吉雅春 写真=クリスティ・ヘム・クロック ヘアメイク=ケイティ・ミュラー

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