iPhoneを開発したシリコンバレーのスター、マット・ロジャースの人生を変えたのが日本人女性だったことはあまり知られていない。
「基本的に僕は全人生において、Yoky(ヨーキー)が言ったことをやっているんだ」と、まるでバイブルのように彼が信奉するヨーキーとは、松岡陽子。アメリカではヨーキー・マツオカとして知られる。
2002年、マットはカーネギーメロン大学2年生のとき、ヨーキーと出会った。当時、彼女はロボティクスの研究で頭角を現していた30歳の助教授。ユニークな先生として人気があり、彼女の研究室には多くの学生が集まったという。
経歴もユニーク、というより異色だ。16歳で単身渡米し、テニスの世界トップ選手を目指して、フロリダのニック・ボロテリー・テニスアカデミーに入っている。アンドレ・アガシ、ボリス・ベッカー、近年ではマリア・シャラポワや錦織圭を輩出した名門である。
「子どものころから一日5時間練習し、学校がない日は8時間もテニス漬けの日々を送っていた」という彼女は、世界ランク上位を目指していたが、その後、ありえないような大転身を遂げる。
カリフォルニア大学バークレー校で電気工学を学び、マサチューセッツ工科大学(MIT)とハーバードの大学院に進み、研究者になった。マットは、「学生一人ひとりと人間関係を築くために時間をつくってくれるヨーキーのような先生は珍しい。学生への思いやりがある先生でした」と言う。
ところが、ある日、彼は「博士号をとりたい」と彼女に相談すると「なぜ?」と問い詰められたという。「彼女は大学教授にはなるなとまで言うんです。そして、シリコンバレーに行ってアップルみたいな会社に入り、何かをつくれ、と。大学の先生がそんなことを言うなんておかしな話だけど、僕は従いました」
こうして彼はアップルに入社後、iPhoneを生んで世界を一変させた。そんな二人がばったり再会したのは、2010年のことだった。「ええ、もちろん、そのときのことは覚えていますよ」と言うのは、ヨーキーである。パロアルトにある新興企業Nest(ネスト)で、ヨーキーが当時のことを話してくれた。
再会したとき、マットはアップルを辞めて、iPodの発案者トニー・ファデルとともに起業したばかり。一方のヨーキーも大学教授を辞めて、09年、グーグルの創業者ラリー・ページとともに「グーグルX」の共同創業者になっていた。のちにグーグルグラスや自動運転で有名になる研究機関「X」である。
シリコンバレーで再会した二人は、小さなイタリアンでランチをとった。ヨーキーが振り返る。
「彼は創業の理由として、『iPhoneみたいなものを壁につけて温度を変えたらみんな買うよ』と話し始めました。室温を調整して、家の電気代を抑制できると言うんです。でも、どうやってエネルギー消費量を抑えるのかと聞くと、『まだ考えてないけれど、機械学習とAIで変えられる』と言うんです」
マットの説明に対して、彼女が意見を繰り出していく。しばらくすると、マットはこう言いだした。
「自分たちでできると思ったけど、あなたと喋っていたら、わからなくなってきました。だから、あなたが私たちの会社に来ないと、できないということがわかりました」。実は、二人の再会はマットが偶然を装ったものだった。彼女に相談して何かヒントを掴もうという思惑だったが、考えが変わり、彼女こそが新しい会社には必要だと言いだしたのだ。……これが、ヨーキーがマットの会社ネストに入る顛末である。
もちろん、誰もが疑問に思っただろう。ヨーキーは07年にアメリカで「天才賞」と呼ばれる最高の名誉「マッカーサーフェロー」を受賞した著名な学者であり、世界を制したグーグル「X」を設立し、月面着陸のように不可能と思われる地球規模の課題を実現させようとする人物である。この壮大な試みをグーグルは「ムーンショット」と呼んでいる。
そうしたキャリアを捨てて、なぜネストなのか。サーモスタット(室温調整器)で節電する事業と、ムーンショットを比べれば、誰もがスケールの違いに「しょぼい」と思うだろう。
マットは「いまでも彼女がネストに入ったのは夢のよう」と言う。では、「彼女に何を期待するのか」と聞くと、マットはこう言った。「このタスクを可能にできる人は世界にほんの一握りでしょう。それはhumanity(人間性)を持ち込むことです」。
humanityとは何を意味するのか。それを理解できたのはヨーキーの半生を聞いた後だった。