僕は心臓をぎゅっとつかまれるような思いがしました。というのも僕たちプロジェクトチームがこの企画を進めるうえで一番気にしていたのが、まさにこの「不謹慎かどうか」ということだったからです。
何度も言うように、タイムマシンアプリは、エンターテインメントを入口にしています。それは意識的にそうしているわけですが、原爆といったテーマを扱う際、このエンターテインメント性そのものが絶対に許されないものなのではないかという不安は強くありました。
もちろん僕たちは、少しでも若い人たちが原爆のことに思いをはせるきっかけを作りたいということでやっているわけですが、やはり広島に生まれ、広島に暮らす人たちからすれば、そう単純に割り切れるものではない…という議論は広島局のディレクター、プロデューサーとはずっとしてきていました。
ですから僕たちは、アプリができあがっても、すぐに市場にリリースせずに、小学生から大学生まで60人ほどの若者を集め事前体験会を開いて感触を確かめたり、地元メディアの記者さんやライターさん、被爆者や被爆3世の方々にもアプリを使ってもらい、意見を求めたりしてきました。
若い人たちからはおおむね好評で「原爆ドームってあんなにきれいだったんだ」「学校ではぼろぼろの広島の街の写真しか見たことなかったからうれしかった」「原爆落ちる前は栄えとったというのは聞いていたけど、ここまでとは思ってなかった」という意見などが聞かれました。
80代になる被爆者の方にも「あまり暗くて重たいものじゃない、こういう映像なら子どもたちが見て、あぁそうだったのかとか、タイムスリップしながら話をしてもらえるんじゃないかな」と言ってもらえて、チーム一同胸をなでおろしたりもしました。ですが、どれだけの数の人に体験してもらっても、どれだけ僕たちにとって耳当たりのいい言葉を聞いても、不安をぬぐうことはできませんでした。
だから、「こういうのって、不謹慎よね」という女性の言葉を聞いて、僕は激しく動揺したわけです。でも、そのあとに女性はこう言ったのです。
「一見不謹慎やけど、これが大切よね。昔、ここに街があった。人が住んどった。そういうことはみんな知らんもんね」
そして、女性は僕のスマホに流れる1926年の産業奨励館の動画を見ながら、自分の母親のことを話してくれました。
「これは産業奨励館でしょ。母たちはよくここに忍び込んで、鉄の手すりで鉄棒しよったって、よく話していたわ」ところころと笑うのです。
「こういう映像があるから、こんな話ができるのよねぇ」と言う女性に、僕は「アプリを体験していかれませんか?」と聞きました。「私はいいわ」と言って、女性は立ち去りました。女性の話では「母親は被爆した」とのことでした。それ以上の詳しい話はしていません。たった数分の短いやりとりでしたが、僕には女性の言葉の一つ一つがものすごく深く心に残りました。
その後も、広島生まれ、広島育ちのアプリのプロジェクトメンバーが、自分のSNSアカウントに投稿したタイムトラベルムービーに対して「不適切ではないか」というコメントが寄せられ、削除するということもありました。何が適切で、何が不適切なのか、それはとても難しい問題だと改めて思わされました。
アプリのブースは8月15日まで、広島市内に出し続けます。毎日、数百人のユーザーがこのアプリを使って、戦前の美しい広島の街にタイムトラベルしています。いろいろ考えちゃうことはありますが、それでも僕はやっぱり、楽しく、ワクワクしながらタイムトラベルしてもらえたらいいなぁと思います。その先に何を思うのか、何に思いをはせるのかは、ユーザーの自由です。
最後に、このアプリを紹介した番組のゲスト、タレントで現役の高校生でもある春名風花さん(はるかぜちゃん)の言葉を紹介しておきますね。
「(アプリを体験してみて)ワクワクしたというのを言うか、言わないか迷ったんです。でもやっぱり過去に戻るっていうのは楽しいことで…だから、そう感じてしまう自分に“違和感”を感じるっていうことが、一番大切なことなのかなって思いました」
番組を作らないNHKディレクターが「ひっそりやっている大きな話」
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