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2017.07.30

過去の広島へ、は不謹慎か 「NHKのタイムマシン」制作の舞台裏

筆者のタイムトラベルムービーより


僕はユーザーが動いてくれるときに必要なのは、理屈よりも、言葉にならない“衝動”だと思っています。

もし若者たちに、戦争や原爆のことを伝えよう、伝えようと思っても伝わらないのだとしたら、もっと衝動的に「あ、これ面白そう!」とか「これならやってみてもいいかも!」と感じて、彼らの方から近づいてきてもらえるものを作るしかないよなぁと考えていました。そして、このタイムマシンアプリならば、それが実現できるんじゃないかと思ったのです。

とは言うものの、あたりまえですが、このアプリで「戦争や原爆の歴史が若い人たちに継承される」なんてことは考えませんでした。せいぜい広島の街や歴史について、“気になるきっかけ”を作ることくらいしかできないだろうし、それで十分だと思っていました。でも、ほんのちょっとでも気になって、わずかでも心にひっかかることによって、自分がタイムトラベルしたその場所や時代に少しでも思いをはせてくれたらいいなぁとは、密かに願ってはいましたけども。

さて、アプリの狙いが定まったところで、肝心かなめの映像収集に取り掛かることになりました。NHK広島局の映像保管庫や、広島局が独自につながりを持っている映像の収集家にあたると、戦前の広島の町並みが記録された動画が次々に見つかりました。そして、その映像がどれもいいんですよね。去年大ヒットした映画「この世界の片隅に」で主人公のすずさんたちが生きていた世界が、ちゃんと記録されて残っているんです。

自分の無知をさらすようで恥ずかしいのですが、僕のイメージする広島の街は原爆投下後の荒涼とした風景であり、今の原爆ドームくらいのものでした。だから余計にそう思ったのかもしれませんが、古い映像の中の広島の風景は、とても瑞々しくて、見ていて本当に気持ちがいいものでした。

そんな素敵なアーカイブ映像の中から、撮影した場所や時代が特定できるもの、映像の権利がクリアできるもの、合成したときに映像がなじませやすいもの、広島市民にとってなじみのある場所、そして原爆の歴史を語る上で重要な場所…といったいくつかの条件に照らし合わせて、最終的には次の4つの場所にタイムトラベルできるようにしました。

1. 1926年の産業奨励館(今の原爆ドーム)
2. 1926年の本通り(今も昔も広島市随一の商店街)
3. 1933年の相生橋(原爆投下の目標地点にされたといわれた橋)
4. 1933年の中島町界隈(今の平和記念公園あたり)

ユーザーはアプリを使って、この4つの場所から好きなところを選び、自分だけのオリジナルタイムトラベルムービーを作ることができます。できあがるムービーは、「現在の場所(たとえば原爆ドーム)に合成された自分の映像」からはじまり、「広島の歴史(オバマ大統領の来県、広島カープ優勝、山陽新幹線開通、原爆投下などが流れる)タイムトンネル」をくぐりぬけ、「過去の場所(1926年の産業奨励館)に合成された自分の映像」で終わるという30秒ほどの構成になっています。

単純に過去の動画に入れるということでもよかったのですが、今と昔をつなぎ、タイムトンネルの映像を見てもらうことで、今自分たちが立っているこの場所が様々な悲しみや喜びの上に立っていることをなんとなくでも感じてもらえたらいいなと思い、こういう映像構成にしました。

そして、7月22日。イベントブースを市内3か所に設置し、タイムマシンアプリはスタートしました。僕はお客さんの呼び込みをやったのですが、「90年前の広島にタイムトラベルできるんですけど…」と言って、自分のタイムトラベルムービーを見せると・・・すごいウケました。そして、実際体験してもらうと・・・みんな超笑顔、そしてときに爆笑。

普段自分たちがよく知っている場所だけに、80年、90年前のまったく別世界と思えるような動画に入るとテンションがあがるみたいです。土曜日だったので、たくさんの小学生や中学生の友達同士、親子連れ、カップル、10~20代の若者を中心に1日で300人近いユーザーがアプリを楽しんで使ってくれました。あぁ、作ってよかったなぁと思っていたとき、60代くらいの一人の女性から声をかけられました。

「これって、何やっているの?」。少し険しい表情で聞く女性は、広島の郷土史を研究しているとのこと。「戦前の広島の街並みにタイムトラベルできるんですけど…」と説明すると、女性は「こういうのって、不謹慎よね」と言いました。
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文=小国士郎

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