慶応3年(1867年)の大政奉還に始まり、昭和20年(1945年)8月15日に至るまでの78年間に我が国の近代化はひとつのサイクルを終えた。その終戦の時点から現代までが70年余りであることを考えると、戦後という平和な時代がいかに長く続いているかということにあらためて気づかされる。
そして、そんな戦後日本の歩みに丹下健三の作品を重ね合わせてみるとき、激動の近代に比べのっぺりとした印象だった戦後が、よりくっきりとした像を結ぶのだ。
戦後日本の歴史と丹下の建築はいつも共にあった。市民が参加する行政という戦後民主主義を象徴する空間をつくり出したかと思えば(香川県庁舎)、経済発展とともに国土をいかにデザインすべきかというコンセプトをいち早く打ち出す(「東海道メガロポリス構想」など)。
また日本の建築工法を世界レベルへと鍛え上げるような技術的チャレンジを試みたかと思えば(国立代々木競技場など)、槙文彦、磯崎新、黒川紀章ら錚々たる門下生たちを世に送り出す。これらはほんの一例に過ぎない。ともかく丹下作品とこの国の戦後史がこれほどまでにリンクしているとは思わなかった。まさに目からウロコの指摘の連続である。
いまから30年前、丹下は、国際化と情報化が進む東京圏の新たな中核都市として、24時間国際空港や金融・情報産業などが集まる「東京湾特別市」をつくることを提唱していた(「東京計画1986」)。それはまるで現代を予見したかのようなプランだった。
2020年を前に臨海エリアが開発されようとしているが、われわれの構想力は丹下の「東京計画1986」から一歩でも外へと出ることができているだろうか。あるいはさらにその先、戦後100年に向けて、われわれはどのような建築・都市・国土のあり方を構想できるだろうか――。そう著者は問いかける。
いま私たちは新しく東京のリーダーを選ぼうとしている。試されているのは、私たちひとりひとりの未来をイメージする力なのだ。
「丹下健三 戦後日本の構想者」(岩波新書)
豊川斎赫(とよかわさいかく) 著