「刑務所誘致」。岩谷義夫元町長が取った秘策は、町に驚きの効果をもたらした。
刑務所といえば、分厚く高い壁—。しかし「島根あさひ社会復帰促進センター」と名付けられた浜田市旭町の刑務所には、その塀がない。
フェンス一枚で外部と隔てられているだけで、中の施設が丸見えだ。だが、人がフェンスに近づくと空間センサーが反応し、米軍戦闘機が上空を飛んだだけでも振動警報システムが作動する。これらは民間の警備会社の最新鋭のシステムだ。
2008年に開所したあさひ促進センターは日本で4番目のPFI方式による矯正施設だ。PFI方式とは民間のノウハウを生かした公共施設のこと。つまり、半官半民の刑務所である。罰を与えるだけでなく社会復帰に主眼を置いた施設ゆえ、また、自然豊かな周囲の風景に溶け込むようにと施設のデザインは塀や鉄格子がないなど開放的な雰囲気が漂う。
旭町(05年に浜田市と合併)が町の存亡をかけ、刑務所誘致を決めたのは03年のこと。1960年に7,000人以上いた人口も90年代に入ると半分以下に激減。コンビニエンスストアが一つもない、典型的な過疎の町だった。91年、旭町を経由する中国横断自動車道広島ー浜田線が完成した。それを機に高速道路を生かした町づくりを掲げ、企業を誘致しようと64ヘクタールの土地を造成し、97年から分譲を開始。だが、さっぱり企業が集まらなかった。
世の中は犯罪増加と刑期の長期化で、刑務所不足に頭を悩ませていた時期だ。刑務所の新設が検討されていると知った当時の町長・岩谷義夫は、にわかに刑務所誘致に方向転換する。02年11月、さっそく法務省を訪ねた。そして、驚かされた。
「私は何番目でしょう?」
「48番目です」
噂には聞いていたが、刑務所誘致の競争率がそこまで高いとは思っていなかった。岩谷が話す。
「刑務所は今の時代、そんなに悪いもんじゃない。北海道の網走もそうですが、どんな僻地でも、最終的にはその町の発展に貢献してきた」
しかもPFI方式の刑務所ならば、地元の雇用も増え、「町おこし」の起爆剤になる。
周囲の風景に溶け込むよう地元の名産・石州瓦を使った瀟洒な外観。公共建築賞優秀賞を受賞。