広場にやってきた人々はまずこの慰霊碑に花を捧げるだろう。そして祈りのために頭を垂れた後に顔を上げると、慰霊碑のアーチの先に静かに佇む原爆ドームが目に入るのである。
ここでオバマ大統領の演説シーンを思い出していただきたい。慰霊碑の前で演説する大統領の背景にはつねに原爆ドームが見えていた。
私の心を揺さぶったのは、大統領自身が推敲を重ねた言葉だけではない。あの時、大統領が立っていた場所――あの場所を支配していた力にこそ、魂を鷲掴みにされたのである。まさにあの瞬間、丹下健三が意図したことが具現化していたのだ。
丹下の意図とは何だったのか。豊川斎赫は、『丹下健三 戦後日本の構想者』(岩波新書)の中で、丹下の次のような言葉を引いている。
「平和は訪れて来るものではなく、闘いとらなければならないものである。平和は自然からも神からも与えられるものではなく、人々が実践的に創り出してゆくものである。この広島の平和を祈念するための施設も与えられた平和を観念的に記念するものではなく、平和を創り出すといふ建設的な意味をもつものでなければならない」
丹下があの場所に埋め込んだのは、平和を創り出す機能とでもいうべきものだった。それが原爆ドームを視線の先にとらえる慰霊碑の形状であり、記念館の設計に採用されたピロティであり、広場なのだ。
ル・コルビュジェが提唱したピロティ(高床形式)はモダンデザインではお馴染みだが、丹下は伊勢神宮を参考に一本一本の柱がダイナミックに変形したデザインを取り入れ、廃墟の中から建物が力強く立ち上がってくるイメージを表現したうえ、ピロティにすることで、広場へ向かう群集の流れを堰き止めないようにした。
本書に掲載された広島平和記念公園の敷地模型の写真をみると、実にそっけない。横長の記念館があって、その先に慰霊碑があり、さらにその先には何もない広大な空間が広がっている。あとは離れたところに原爆ドームがポツンとあるだけだ。
当時この模型をみて、あの何もない広場をやがて何万人もの群集が埋め尽くし、平和の祈りに満ちた空間になるということを、いったいどれだけの人が予測できただろうか。戦後日本の平和があの場所からこそ始まるということを、そしてその平和は市民の手によって創られるということを、丹下だけがイメージしていたのだ。
このように丹下健三は、未来をイメージする類いまれな能力を持っていた。本書の独創性は、そんな丹下健三を軸にすることで、戦後史がクリアに見通せると看破したことにある。