フランス料理の店は、洗練された高級料理を提供する“レストラン”(ガストロノミー)と、伝統料理や地方料理を出す“ビストロ”に大きく分類できる。ビストロの料理は、成澤氏の下で習ったクラシックな料理の源流でもある。「ビストロは、季節ごとのメニュー数とバリエーションが多い。瞬時に頭の中でメニューを組み立てる能力は、その時代に培われました」。
決して手を抜くことはなく、真摯に料理に向き合い続けること5年。その頃から、パリで日本人シェフの活躍がめざましいものが出てきた。「パッサージュ53」の佐藤伸一氏が二つ星を、「レストランKEI」の小林圭氏と「SOLA」の吉武広樹氏が同時に一つ星を獲得。北村氏の中に、「これは負けていられない、そこを目指したい」という気持ちが強く湧き上がってきた。

「一つ星」の先へ
そんなとき、日本酒を販売し、居酒屋を持つ「ラ メゾン デュ サケ」のオーナーから声がかかった。経営が不調の居酒屋を立て直してもらえないかと誘われ、シェフに就任。これまでの経験をフルに生かし、居酒屋から「レストラン エール」というガストロへノミ―レストランへの転換をはかり、2年で一つ星を取得した。「発表の3日前に電話があったときには、本当に嬉しくて、過去にやってきたこと、悔しかったことが走馬灯のようによみがえり、涙が出てきました」。ガストロの仕様ではない店で一つ星をとれたということは、北村氏の料理そのもの、腕一本が評価されたということだった。
しかし、翌年も翌々年も二つ星には届かず、5年間一つ星が続いた。
料理には自信があった。店のトータルコーディネイトが足りない。といっても、もともと立て直しで始めた店。椅子を買い直したり、好みのプレートを購入してもらったが、そんな付け焼刃では足りなかった。
そんなときにレストラン運営会社のプラン ドゥ シーから森ビルが「虎ノ門ヒルズ・TOKYO NODEの最上階に、日本のフラッグシップになるガストロノミーレストランをつくってほしい」という話が舞い込んできた。森ビルとしては、どうしたら東京を代表するレストランを作れるのか、あらゆる可能性を検討していた。その中で、星付きシェフを連れてくるだけでなく、共に発展、成長していけるパートナーとして北村氏に白羽の矢が立った。