ソロメオ村を文化の拠点にしていくことを古代ローマのハドリアヌス帝の言葉「私は“美”に責任をもつ」を引用しながら実践する。次のプロジェクトは、約50万冊の蔵書をもつユニバーサル図書館の開設である。ここでもハドリアヌス帝の「図書館を設立するのは、万人のための穀物倉庫をつくるようなものだ」というフレーズをブルネロ・クチネリは繰り返す。
図書館の名称にユニバーサルという言葉が使われているのは、普遍的な知識の宝庫としての役割を果たすことを目指しているからだ。時代や文化を超えた偉大な思想家たちの知識と精神を体現し、訪れるすべての人々にとって学びとインスピレーションの源となることが目標である。
ブルネロ・クチネリにはいくつかの確信があるのだ。ひとつは近代以前の賢人たちの考え方に学ぶべきことが多いという点。もうひとつは著者の思考法に接することが大切という点。時代を超えた著者との直接対話である。長い年数にわたって評価を受けてきた原典を血肉としながら、厳しいビジネスの世界を生き抜いてきた人間の到達点である。
同社のAIプロジェクトを聞き、私の頭によぎったことがある。前述のユニバーサル図書館である。人工知能のもつユニバーサル性と図書館のデータがどこかで連携するはず、と。ふたつ目が、ローマ教皇が6月にイタリアで開催されたG7サミットに招かれ、AIに対する国際的規制の必要性を訴えたことだ。宗教心を大切にするブルネロ・クチネリがバチカンの主張に真正面から論評しづらいだろう。彼が何か新しい方向を示すのかもしれないとは想像したが、正直なところ、あまり期待していなかった。
そうして7月のプレス発表の会場で最前列に座った。そこで知ったのは、人間の知能と人工の知能が敵対関係になるのではなく、「相互の間に愛が生まれる関係をつくりたい」という強い希望だ。その表現として生成AIを中心とした独自サイトをオープンしたのである。
サイトはブルネロ・クチネリ社の経営理念に範囲を限っている。将来的にeコマースにもAIが使われていくが、今の段階では人工知能は人の生きる社会が人間らしくあるための新しいモデルという位置づけである。ほかの高級ブランド企業がAIを実ビジネスにダイレクトに役立てようとする傾向にあるのに対し、同社は一呼吸おこうとしているように見える。