そこで一つ重要なことを学びました。それは、優れたアイデアや才能、創造性がたくさんあったにもかかわらず、作った製品が誰のためのものでもなかったことです。周りの人には、「なんだって、こんなユーザー・インターフェイス(UI)を作るんだ?」と言われました。彼らは、コンピュータの熱心なユーザーでなくても使いかたがわかるシンプルなものを求めていたのです。ソニーの携帯情報端末「Magic Link(マジックリンク)」を覚えていませんか? 長期的なビジョンとしては面白い製品でしたが、短期的には「誰が1000ドルもする、ポケットに入れるには大きすぎる、『でも、こんなクールなことができる!』製品を買うのか?」ということですよ。
そういう製品を買うのは、テクノロジーが大好きで、世の中に出回る前に製品を“体験”したい人たちです。でも、私たちが作ったのは、その市場には合っていなかった。だって、ガジェット好きな“テッキー”たちを納得させたいなら、子供向けのお絵描き端末のようで、誰でも使えるようなものでは意味がありませんよね。私がジェネラル・マジックで得た教訓は、「自分が何をしようとしているのかを理解すること」でした。大事なのは、やり過ぎないこと──。つまり、どこで創造性を発揮し、どこで抑制するかを考えることです。創造的であることは大切ですが、すべての面でそうあるのは無理があります。
とはいえ、後から考えると簡単に思えますよね。その瞬間はできないものなんです。それでも、ジェネラル・マジック時代は最高に楽しかったですし、同僚たちから多くのことを学びました。その後、(前出の)ケビン・リンチに誘われて、ウェブオーサリングツール「Macromedia Dreamweaver 1(マクロメディア・ドリームウィーバー・ワン)」の開発プロジェクトに加わるため、マクロメディアに転職しました。ただ転職すべきかどうか悩みました。当時は、HTML向け開発者ツールの出来に懐疑的だったのです。1997年頃はウェブデザイン黎明期ということもあり、ルームメイトにウェブデザイナーが2人いて、彼らの友人もウェブデザイナーだったのですが、みんなしてバカにするんですよね。「このツールを見てみろよ、ひどいぞ! 何かを描いてドラッグするだろ。それでできたコード、見た? 最悪だよ」という具合に。あまりにもバカにするので、働きたいとは思えませんでした。
それでもケビンが勧誘してくるので、私は「これはやるのか? それならあれは?」というように、厳しい質問を浴びせ続けたんです。作るなら、ユーザーに笑われないような優れたものにしたかったからです。最終的に、ケビンが正しいと納得したので、私はチームに加わりました。プロジェクトが始まる前に参画したので、オリジナルチームの一員でした。やがてチームリーダーとして、DreamweaverやFireworks(ファイアワークス)と、その関連製品の開発をリードしました。マクロメディアで学んだことがいくつかあります。