一人きりでは完全には満足できない
「30年前はまだ、自分の弱さを告白できるような社会の雰囲気ではありませんでした。ですから『完全自殺マニュアル』では自分の体験はまったく書けませんでした。しかし世の中が色々変わってきて、自分の弱さや体験を言える空気になってきました。『人間関係を半分降りる』では生まれ育った家庭のひどさや、社交不安障害だった過去について書いているんですけど、そのあたりは、時代が変化したおかげで書けたことですね」
本書では様々な他人……友人、家族、恋人……との関係性を緩める方法を提示している(もちろん「こうしろ」ではなく「こうしてもいい」という論調だ)。
重要なのは、鶴見氏は決して、人間関係を完全に断ち切ってしまってもいい、と言っているわけではないことだ。つまり、人間関係には降りるべきではない「もう半分」が残っているのである。
「たとえば、人間関係から全部降りればいい、と言えばすっきりするはずです。主張としても、本としても。でもやっぱりそういう風には思えないんです。
私自身、学生時代に一人でライブに行ったり映画を観たりしていた時期があって。否定されるような人付き合いがなくてせいせいしたんですけど、その一方で誰かと話をしたいという気持ちも強く持っていました。一人きりでは完全に満足できないんです。
誰も口に出しませんけど、人間って褒められるのがすごく好きなんです。褒められるために生きていると言ってもいいかもしれません。
誰かと会話することで、褒められたい欲を一番簡単に満たせるんです。話を聞いてもらえて、頷いてもらえるって、その都度褒められているようなものですから。
否定されるような関係からは降りてしまった方がいいとは思います。けれども今、長く孤独でいる人には、人間関係を持つのもいいんじゃないかな、と提案したいですね」
──「もうひとつ世界を作るなら、やさしい世界を作らないと意味がない」
『人間関係を半分降りる』で鶴見氏はこのように書いている。やさしい世界とはまさに、「自分を肯定してくれる関係」が築ける世界のことだ。
後編では昨今声高に叫ばれている「生きづらい」という言葉についての鶴見氏の見解、そして彼が実際に手がけている「やさしい世界」についてをお届けしたい。
鶴見済◎1964年、東京都生まれ。東京大学文学部社会学科卒。複数の会社に勤務したが、90年代初めにフリーライターに。生きづらさの問題を追い続けてきた。精神科通院は10代から。つながりづくりの場「不適応者の居場所」を主宰。著書に『0円で生きる』『完全自殺マニュアル』『脱資本主義宣言』『人格改造マニュアル』『檻のなかのダンス』『無気力製造工場』などがある。
ブログ:鶴見済のブログ
X:鶴見済(@wtsurumi)
松尾優人◎2012年より金融企業勤務。現在はライターとして、書評などを中心に執筆している。