ミラノと丹後の出逢いから考える「インバウンド以降」の日本

さらに彼は、イギリスの家具デザイナーで職人でもあったデイヴィッド・パイの著書『The Nature and Aesthetics of Design (デザインの本質と美学)』(1978年)を引用し、「世代間のスタイルの攻防」という面白いメタファーでスタイルの本質を探っていきます。

「若い世代は、親の世代が課した『束縛』の下で育つため、必然的に親の世代のスタイルを『拘束的』だと否定する。しかし、その若い世代が次の世代を産むとまた同様の連想と否定のプロセスが起こり、最新の世代は祖父母の世代の良さを再発見する」

このパイの主張についてドーマーは「単純すぎるが本質をついている」とコメントしながら、流行やスタイルを刹那的、表面的な変化と簡単に否定せず、それが自分を主張するための絶え間ない探究、革新、思索の表現であると同時に、日和見主義の表れであることを忘れてはならない、と警告します。

「パイが述べているのは、ノスタルジーという感情や、振り返ろうとする意欲といった現象の別の側面である。文字どおり時間が物事を大局的に把握させてくれるのだが、スタイリストとしてのデザイナーが、両親の時代から少なくとも一世代以上離れたスタイルに拍手を送りやすい理由は他にもある。野心的なデザイナーやアーティストは、引退した人、死んだ人、あるいは一般的に『戦闘不能』と思われている人の美点を賞賛しやすい。親や教師が『戦闘不能』になることはめったにない」
Brunello Cucinelli(Photo by Tullio M. Puglia/Getty Images for Mido)

Brunello Cucinelli(Photo by Tullio M. Puglia/Getty Images for Mido)

この一節を読んで思い出したのはブルネロ・クチネリでした。彼は、自分の人間主義的経営哲学を紹介するときには必ず、貧しいながらも充実した農民の家庭で育ったことへの感謝と、農民から工員になり人間性を軽んじられる経験をした父親の寂しい姿について言及すると言います。

彼はきっと、自分の父親が農民から工員になり偶然に「戦闘不能」になったからこそ、水面下にあった地続きの文化に気づくことができたのではないでしょうか。一番身近で完全だと思っていた秩序が崩れ、自分を大局的に見つめ直さざるをえなくなった。だからこそ古代と自分と未来の世代、そしてそれらを取り巻く環境が自然と繋がった、長期で広域な視点を持つようになったのでは、と想像しました。
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文=安西洋之(前半)・前澤知美(後半)

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