「無駄はデザインエラーだ」と言い切る二人にとって、パッケージデザインへの日本語や漢字の使用も「エラー」でした。
実は当初、私からは日本語表記を使用したデザイン案も同時に提案していました。彼らにとって外見的に日本文化を表現することがプラスになると感じたからです。しかし、最終的には日本語のないデザインが選ばれます。彼らにとって日本語は余計な「添加物」であり、美学を曇らせる要素だったのです。
実際にユーザーからは、「漢字も日本的モチーフもないのに日本的感性を感じる」という感想をもらうそうです。自分たちの人間性や哲学を誠実に表現しているからこそ、結果的に文化的な意味をユーザー側が見出しているのでしょう。
最後に健康と美の関係についてどう思うかを尋ねると、「化粧や香水で疲れが隠せないように、美は取り繕うことはできない」「美とは自分がどう感じているかを反映するもの」と二人。
彼らのプロジェクトは、「禅」や「侘び寂び」といった消費しやすい謳い文句でいかようにも取り繕えたはずです。しかし、自分たち以上のものも以外のものも加えず、個人的なインスピレーションを正直に表現することに徹底した。それが新しいラグジュアリーを動かす「クリーンさ」ではないかと感じました。
ミニマリズムや清潔さは、日本のラグジュアリースタートアップにとって、取り扱い注意な言葉だと思いますが、Ipsum Aliiの精神はそれを考える一つのヒントになるのではと思います。安西さんは、どんなことを想起されましたか。