その活動の中で開発側は、なんとなく作品がきれいに並んでいる状態をイメージしがちなのですが、作品をつくるのはアーティストであり、生身の人間なので、どうしてもそこで軋轢というか、衝突が起きてしまう。例えば作品制作に伴う騒音やにおい、得体の知れないアーティストたちが夜間も作業しているような状況を受け入れられなかったり。
そのような衝突含めアクションが起こることで都市に小さな変化を与えることができます。建築が10年、20年単位で変化を生むのに対して、アーティストは数カ月、数年単位で事を起こせる。サイクルが違うのがいいんです。彼らが都市を使い倒しながら制作をして、その実験やアウトプットで街が醸成していき、次のまちづくりのヒントが生まれるという循環ができるといいですよね。
山峰:僕が森山未来くんと一緒にやった「KOBE Re:Public Art Project」では、当初パブリックアートをつくるという与件を与えられたのですが、何の縁もないニュメントをつくってもしょうがないという話から、もともとその街にある面白い場所や人々を、外からきたアーティストたちの目を通して再発見し、コミュニケーションを生み出し、その土地が持つ内発的な力を高めていくことを目指しました。
また、六本木の廃ビルを使ってANB Tokyoというアートスペースを展開した際もコミュニティ形成がひとつのテーマだったので、そこで参考にした好事例のひとつが、ニューヨークのPS1というアートスペースです。今はニューヨーク近代美術館(MoMA)と合併していますが、もともとは小学校だった場所をアーティストたちが改築してつくった、まちづくりを前提とした場所でした。未知の期待値に吸い寄せられてクリエイティブな人たちが集まってきて、次第に街全体がリブランディングされ、エリアの価値も上がりました。アートがそうした社会的効能を発揮したという例は、実はたくさんあります。
一方で、アーティストの創作活動から、ひょうたんから駒のような効果が立ち現れたとしても、その方法をメソッド化することは難しい。事業側はどうしてもアート作品自体のインパクトを図る評価設計を組みたがるのですが、そうすると指標に合わせた作品が生まれてきてしまう。アーティストとは、予見や評価指標に合わせて動く存在ではないので、そこを彼らに求めるのは本末転倒なんですよね。
「アート的思考」を受け入れられる社会体制にない
山峰:ビジネスの世界で語られるアート思考って、「アンラーニング」と近いのかなと思っています。習慣化され、固定化されている既存のやり方では通用しなくなっているから、そこから脱却して「〜ではない可能性」模索しましょう、ということだと思うのですが、いざやろうとすると、「それはやったことがないのでわかりません」と拒否される(笑)。見たことないものを求めていたはずなのに。つまり、まだアート思考を受け入れられるような体制が整っていないのかなと感じています。永山:それは元を正すと、幼少期からのアート教育みたいなところにも関わってきますよね。文化醸成は2〜3年やってできるものではないし、長い目で見ていかないといけない。