「混ぜる教育」には大賛成
──そうした多様性のありかたでも「脳の多様性」に注目した『普通をずらして生きる ニューロダイバーシティ入門』を、茂木さんはどんなふうに読みましたか?
最先端のダイバーシティのありかたを解説した入門書としても面白いんだけど、何より強いメッセージだなと思ったのは「個性は分けるのではなく、混ぜたほうがいい」ということ。
従来の日本の教育では、障害のある人を切り離してクラスをつくってきましたけど、これからは「定型」も「非定型」も一緒にして学び、生活してくべきじゃないかと。この提言には、「集団的知能」研究の観点からも大賛成です。多様性に満ちて、社会的感受性が育まれる環境になりますからね。
それにそもそも「普通」と思われている人だって、みんなそれぞれ、そんなに普通じゃないでしょう? という主張も、いかにも伊藤穰一らしくていいですよね。彼、ジョイとは長い付き合いになるけど、やっとジョイの言ってきたことが社会に浸透し始めてきたような気がしています。
──まさにこれからの教育を変えていこうとする二人の学校設立プロジェクトも紹介されていますが、どんな期待を持ちましたか?
日本の教育は今、とても混乱していると思っていて、従来の偏差値教育から少しずつ脱却しつつあるんだけど、ズレも生じてきていると感じています。
偏差値から個性へ、という流れはいいけれど、逆に自閉症や発達障害に由来する特別な才能、ギフテッドと呼ばれるものに過度な期待が寄せられている。それが、ニューロダイバーシティの子どもをもつ家族にとって負担になってしまうこともあるでしょう。「どうしてうちの子はギフテッドじゃないのか」というような。
そうではなく、どんな子どもでも楽しく生きていける、活躍できる環境を広げていこうというのが、ジョイと松本さんが準備しているニューロダイバーシティの学校なんだと思います。
本書の中で松本さんが詳しく紹介していますけれども、もともと僕はイタリアのレッジョ・エミリア市発祥の教育「レッジョ・エミリア・アプローチ」に興味を持っていたんです。つまり「子どもたちには、できるだけたくさんの表現方法を与える」という教育方針。ここに、これからの時代を乗り越えていくためのヒントがあると思うんです。
ChatGPTなどの生成AI、人工知能って、言ってしまえば典型的な思考の最大公約数にしかすぎない。プロンプトで生成AIに何かを訊ねたとき、返ってくる答えは統計的に正しいとされるとても平均的なもので、そこに個性はないわけです。
だからこそ、これからは人に個性が求められる場面が増えてくると思います。そのために、個性をのびのび発揮できる教育や場所が必要。芸大に入るためにはデッサン力が必須とか、そういう「こうでなければならない」「これが標準」という発想は捨てるべき時代になってくると思います。