映画

2024.03.09 14:30

フェミニズムか反フェミニズムか。映画「バービー」に埋め込まれた爆弾

田中友梨

こうした中で先にも触れたように、マテル社は20年ほど前から、現代の多様で個性的な女性像というフェミニズム的なニーズを察知し、「何にだってなれる」という夢と共にあらゆる職業のバービーを世に送ってきた。「さまざまな個性」を基盤とした「多様性」は、現代社会の金科玉条である。

しかしグローバル資本主義の拡大がもたらしたのは、こうした一見プラスの面だけではない。ネオリベ的な能力主義と成果主義が重視され、一方で低賃金、社会保障の切り下げなどで貧困化が進み、この20年、経済格差が世界的に広がり続けている。

フェミニストのナンシー・フレイザーは2013年、「ザ・ガーディアン」誌に「フェミニズムはどうして資本主義の侍女となってしまったのか——そしてどのように再生できるのか」というテキストを発表し、話題になった。そこで彼女は、近年のフェミニズムは資本主義批判を忘れ、個人主義の称揚を通し結果としてネオリベラリズムに貢献したとして批判している。

現代社会では、人々は「生産する主体」以前に「消費する主体」に位置付けられる。少女たちも”多様”なバービーを消費し、”多様”な夢を見せられる。しかしそもそも、大統領や医師や売れっ子作家から道路工事の作業員まであらゆる職業のバービーをつくったところで、実際には誰が道路工事の作業員として「輝ける」と積極的に思うだろうか。

マテル社の「何にだってなれる」バービーと少女たちの理想郷バービーランドは、「多様性」の名のもとに資本主義の歪みが隠蔽されるこの現実の欺瞞的なあり方を、きれいに反映している。女性優位社会として描かれたバービーランドと男性優位社会として描かれた現実は、互いが互いを映し合う鏡であるだけでなく、その成立基盤においてまったく”同じもの”なのだ。

バービーランドを出た定番バービーは終盤で、「人間として意味を見つけたい」と言った。すべてが資本主義に包摂されてゆく世界で、彼女は「意味」を、社会が要請する何者かになることではなく、自らの身体に向き合うことから見つけ出そうとしていた。

限りある個々の身体こそが、あらゆる物、あらゆるイメージ、あらゆる価値が消費されてゆくこの世界における、最後の抵抗の場なのである。


『バービー』ブルーレイ&DVDセット(2枚組) 5,280 円(税込)
発売元:ワーナー・ブラザース ホームエンターテイメント
販売元:NBC ユニバーサル・エンターテイメント
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文=大野左紀子

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