映画

2024.03.09 14:30

フェミニズムか反フェミニズムか。映画「バービー」に埋め込まれた爆弾

田中友梨

女として自らの生と性に立ち向かう

バービーランドの一連の変遷は、ひと言で言えば、幼い少女から思春期を経て大人になっていく女性の精神や感情の変化そのものだ。「何にだってなれる」という夢を実際に叶えようとしたら結構大変で、男に任せていた方がラクに思えるけど、主権を男に取られて服従したくはない、そうした現実の女性の揺れ動きや男性の反応がコミカルに、時に滑稽に描かれている。

こうした中で注目すべきは、他のバービーとは別の道を行くことになる定番バービーの心理と行動である。彼女は身体に生じた劣化を通して老いに恐怖するが、現実世界で出会った老女には「あなた、きれい」という言葉をかけており、最後に老女の幽霊となっているバービーの創始者ルース・ハンドラーに導かれる。

またこの中で彼女は、自分が他の多様な職業をもつバービーではない定番バービー、つまり「特徴がない」ことに、密かに悩みを抱えるようにもなっている。

「私はもう美しくない。私にはできることが何もない」という定番バービーの台詞が示すのはアイデンティティの揺らぎからくる不安だ。だがそれは彼女が、死に至る生、その源の性に組み込まれる存在=人間として生きることを示唆している。

最後にバービーランドを去り、現実世界で婦人科を受診しようとするのは、ルッキズムに覆われたファンタジー世界を脱し、リアルな女として自らの生と性に立ち向かおうとすることに他ならない。何者かになろうとする前に、”女”である自分の身体そのものと向き合うこと。これは、そのことを受け入れるにせよ拒否するにせよ、バービーで遊ぶ少女たちがいつかは通る道である。

個々の身体こそが、最後の抵抗の場

では、女性が「何にだってなれ」ていつまでも若く美しくいられる夢から覚め、身体という最小単位に立ち返るとは、どういうことなのか?

1959年の定番バービー発売以降、この約65年間に、西側先進諸国を中心として女性の地位は向上してきた。あらゆる分野に女性労働者が進出し、女性の起業が奨励され、「女性が輝く社会」といった言葉が流通し、さまざまなジャンルに成功した女性が数多く登場した。
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文=大野左紀子

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