ゼレンスキーの言葉が人々の心に響くのは、それが彼自身の考えに基づいているからだ。ただ目の前に置かれた原稿を読んでいるわけではなく、さらには自ら選んだ見習うべきロールモデルの視点で表現を厳選してスピーチを仕上げているからだ。
価値観を共有する
ゼレンスキーが戦時下の演説のほとんどに一貫して用いているアプローチの1つが、主題を共通の価値観に結びつけることだ。聴衆の心に響く歴史的な出来事や経験を引き合いに出し、相手の琴線を揺らそうと試みる。たとえば、ドイツ連邦議会での演説では、ベルリンの壁とホロコーストに言及した。ドイツ国民の心をつかむ意図があってのものだ。
米上下両院合同会議での演説では、ウクライナの戦いを米独立戦争、特に米植民地軍が英国軍に決定的な勝利を収めた1777年のサラトガの戦いを引き合いに出した。
こうした巧みな表現遣いは「名刺のようなもの」だとシャスターはいう。ゼレンスキーのメッセージを、目の前の聴衆にとどまらず広く拡散させる効果をもつ挨拶状なのだ。
シンボルでアイデアを強化する
米議会での演説の中でゼレンスキーは、バフムートで戦っている部隊から預かったという戦旗を米議員らに贈った。旗には、希望とたくましさに満ちたメッセージがびっしり書き込まれていた。そして、こう言った。「この旗がみなさんとともにありますように。この旗は、この戦争における私たちの勝利のシンボルだ」
シンボルは強力なコミュニケーション装置だ。ゼレンスキーはそれを知っている。彼は軍人ではないが、側近ともどもウクライナ陸軍の軍服と同じカーキ色の服装にこだわった。今は平時ではないということを、ウクライナ国民に「視覚的に思い出させる」ためだったとシャスターは説明している。「わが国の指導者は今、戦時下の最高司令部だ」とのメッセージを服装を介して伝えたのだ。
ゼレンスキーは、ショーマンの手腕が戦争において価値を発揮することを証明した。世界を舞台にしたゼレンスキーのアピールは「西側の指導者らをうまく説得し、感激させ、この戦争を自分たちの問題だと確信させた」とシャスターは記している。
(forbes.com 原文)