「ボイコット」の効果を検証 人口の3.5%が参加すれば政治は変えられる

イスラエルと関係のある企業を対象としたボイコットを呼びかけるプラカード。2023年11月11日、インドネシア・ジョグジャカルタにて(Toto Santiko Budi / Shutterstock.com)

パレスチナ自治区ガザからアフリカのスーダン、エチオピア、コンゴ民主共和国、南洋のパプアニューギニアやカリブ海のハイチ、そして東欧のウクライナとロシアまで、世界のあちこちから毎日のように混乱、闘争、紛争、戦争のニュースが届く。外国で起きている騒乱や暴動の詳細を知れば知るほど、絶望的な気持ちになることがある。地球の裏側で続く紛争について読んで、無力感に苛まれることもある。「私に何ができるだろうか」と自問する人もいるだろう。落胆し、意気消沈する代わりに、状況を少しでも変えようと大小さまざまな行動を起こす人々は、決して少なくない。

ソーシャルメディアは暴虐や不正義を世間に知らしめる強力なツールとなったが、オフラインでは、集団の力を発揮する方法としてボイコット(不買・拒否・排斥)を呼びかける動きが広がっている。ボイコットは目新しい運動ではなく、歴史の中で変革をもたらす手段として繰り返し使われてきたものだ。しかし、実際に効果はあるのだろうか。本記事では、ボイコットの有用性と、実際に社会を変えることができるのかを検証する。

アパルトヘイトは、1948年から1994年まで南アフリカで実施された「人種による隔離と白人至上主義」を合法化した制度。反アパルトヘイト運動は1959年にボイコット運動として始まり、南ア製品を「アパルトヘイト商品」とみなす国際的な不買運動が展開された。この消費者ボイコットは35年近く続き、買い物の際に「商品ラベルを確認」して南ア製品を避けるよう呼びかけが行われた。ボイコットはアパルトヘイトに抗議するためにとられた集団行動の1つであり、1994年にアパルトヘイトは完全撤廃された。

モンゴメリー・バス・ボイコットは、米アラバマ州モンゴメリーの市営バスにおける白人と黒人の座席隔離への抵抗運動として、1955年12月に始まった。発端は、黒人女性ローザ・パークスが白人乗客に席を譲るのを拒んだため逮捕された悪名高い事件だ。組織的なバス乗車拒否が展開され、それまでバスを使っていた人々は黒人運転手のタクシーや相乗り、徒歩などの代替交通手段を利用した。ボイコットは1956年12月20日まで381日間続き、翌21日にモンゴメリーの市営バスは座席隔離を撤廃した。

英ブリストルで1963年4月、黒人の雇用を拒否したバス会社ブリストル・オムニバスとバス労働者組合に、地元の黒人住民が抗議。当時18歳だったガイ・ベイリーがバス会社の車掌採用面接で黒人は雇わないと言われたことがきっかけで、バスのボイコット運動が始まった。人種差別的な会社方針に異議を唱えるボイコットが何カ月も続いた後、1963年8月にバス会社がついに方針転換に合意。初の非白人バス乗務員として、インド出身のシーク教徒の男性ラグビル・シンが採用された。このボイコットは、公共の場での差別を禁止し「肌の色、人種、民族または出身国」に基づく憎悪を個人に向けることを違法とみなす英国初の法律「1965年人種関係法」の制定に大きく寄与したとされる。
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翻訳・編集=荻原藤緒

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