2001年にスタートしたM-1は、休止・リニューアルを経て、今年で通算19回目の開催となる。立ち上げ時から10年間、大会のメインスポンサーとなったのが、カー用品大手のオートバックスセブンだ。
一見漫才と結びつかないカー用品大手のオートバックスセブンが、なぜメインスポンサーになったのか。当時の社長であり、2006年まで優勝者に「1000万円の小切手パネル」を渡す役割を担った住野公一に話を聞いた。
「うち向けにつくってくれた企画やな」
「ぜひM-1のスポンサーになってください。きっと話題になると思いますので」2001年のM-1立ち上げ時、スポンサー探しに苦戦するなかで住野を口説いていたのは、 “M-1をつくった男”こと、元吉本興業の谷良一。谷が持ってきたM-1の企画書を見た瞬間、住野は「これは、うち向けにつくってくれた企画やなと思った」と明かす。
(左から)2001年、企画書を持ってオートバックスセブンを訪れた谷良一と、当時の社長・住野公一
先代で創業者の住野敏郎は厳しい人で、「怒りの経営」で有名だった。1994年に社長を引き継いだ公一は、先代とは違い「笑いの経営」を目指した。経営陣は裏方で従業員がスター、という考えのもと、従業員に寄り添い一人ひとりの才能を活かすためのリーダーシップを心がけた。「笑いの経営」のゴールは、オートバックスを利用するお客さんを楽しませること。この点は漫才とも一致していた。
大阪出身、幼い頃からお笑いが好きだったという住野は、経営にもエンタメ思考を取り入れていた。「オートバックスは、カー用品やタイヤ販売ではなく、ディズニーランドのようなアミューズメントパークのカテゴリに入れてもらいたいと常々思っていました」。
実際に、1997年にスーパーオートバックスを立ち上げた際には、米国に足を運んでディズニーランドの研究や勉強会を行った。「究極的には、お客さんから入場料をいただける店にしたい。従業員にも、お客さんが1000円払ってでも入りたくなるような店をつくれと言っていました」。